ウェイトオーバーにも関わらず、ラーメン屋で昼食を取り、高速で映画を見に行く。時間があったので、電器店でテレビの値札を見る。混雑していない。32インチは6万円程度、40インチが7万円台、42インチが8万円台だ。40,42インチなら23,000円のエコポイントが付く。来月から半分か。いよいよ買い時かな。買うとしたらREGZAだ。BluRayの再生は欲しいが録画は要らない。BluRayこそ通販で買えばいい。コペンハーゲンで見れなかったGaraxy Tabも置かれていた。iPadと違い、軽いので片手で持てる。ベストサイズかもしれない。来週発売だが、これは様子見になる。iPhoneのように騒ぎにはならないのであろうか。
居眠りしながら、映画を見た後、高速で大学に戻る。変な運転をするドライバーがいる。導入車線で抜こうとしてきた。わナンバーでもYナンバーでもないので、現地人である。正真正銘のアホなのか。常識が通用しないのが居るので怖くなる。
来週、奈良で学会発表する学生が、水木金土と発表練習し、日曜日の本日も練習をする。あと2日、どうにかなるレベルまでは来た。どんなことでもあと少しが大変なのである。あと少し、頑張ってくれ。しかし、こんな簡単に学会発表させてよいのだろうか。まともな学会に発表できずに修了する修士も結構おるのに。私の持論であるが、学生は外に出さないといけない。外に出し、現実を直視させないと、進歩しない。インターンシップに出したいのであるが、易々とは受け入れてくれないし、旅費や宿泊費などのお金もかかる。学会が一番手っ取り早い方策となる。1泊2日ならどうにかできる。
さて、
「学会発表しなければいけないと思っている」とは、
10年前に、他の研究室の修士の学生が言っていた。まさに、まともな学会には発表できなかった修士である。同級生が学会発表をすることが決まったので焦っていっていたらしいが、学会発表するには、
(1)実験をする。
(2)実験結果を整理する。
(3)考察する。
(4)申し込み:題目を学会に提出。
(5)予稿を書く。
(6)発表準備をする。
(7)発表する。
というプロセスが必要となる。うちの学生も9月は(5)で忙殺されていた。今は(6)で毎日発表練習させている。そいつは、学会発表しなきゃではなく、実験をしなければいけないと思っていると、いわなければいけないのに、いきなり、(7)をやろうとしていた。
そいつは、国際学会に発表できると思い込み、海外に行けると吹聴し、(1)の実験もやっていなかった。当然のことながら、申込〆切は矢のごとく過ぎていった。国際学会で発表することがどういうことかも分かっていないのであろう。
次に、国内学会に出すと自慢していた。(1)の実験をしないで自慢ばかりしていた。その結果、再び、申込〆切は光陰のごとく過ぎていった。発表などできるわけない。
実験結果が出たときには、いい結果が得られず、支部大会にしか出せなかった。
実験してうまく行かない。そこから研究は始まるのであるのに、実に馬鹿げたことをやっているものだ。インストールのような、簡単に結果が出るようなことしかしたことがないのであろう。学会発表というのは、自慢することではない。発表してどれだけのことを得られるかが問題なのである。それは、有益なコメントであり、知識であなり、刺激である。そのために発表していただくのであり、何も得られそうもない学生には発表させない。学会発表を努力目標にするのは間違ってはいないが、発表したからといって自慢するようなものではない。まして、発表する前から自慢するのはギャグにもならない。恥以外の何物でもない。
話はここでは終わらない。
修士の発表会のときである。支部大会にしか発表できなかったような内容を、実に分かったように話をしていたが、これは質問されたら答えられないなと思っていると、
教員A: こういうバリエーションは考えられませんか?
そいつ:そこまでは考えていません。
教員B:式(1)はどういう意味ですか?
そいつ:(答えになっていないことを言う)
教員B:先輩からの引継ぎですか?
そいつ:はいそうです。
怒鳴りつける教員や同級生が居ないのが不思議である。その程度の大学ということになる。何もやっていない、まったく考えていないのは明白であり、こんなのが学会になど行けるわけない。大学の恥さらしになるだけである。(1)以前の問題を解決しなければいけないのである。ただ、公衆の面前でどう振舞うかは大学では教えられない。家庭での教育の問題であり、できない奴は絶対にできないからである。そいつは35歳くらいになっているはずである。どこでどんな仕事をしているかなんて知りたくもない。国際学会で発表することの意味を今も分かっていないはのだろう。反省をしないで、あの時、惜しかったとか自慢しているのであろう。まともな職場ならボコボコにされる。恥を知れである。いや、知る必要もないのであろう。
