第一日曜
オツベルときたら大したもんだ。稲扱《いねこき》器械の六台も据《す》えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。
十六人の百姓《ひゃくしょう》どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏《ふ》んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしから扱《こ》いて行く。藁《わら》はどんどんうしろの方へ投げられて、また新らしい山になる。そこらは、籾《もみ》や藁から発《た》ったこまかな塵《ちり》で、変にぼうっと黄いろになり、まるで沙漠《さばく》のけむりのようだ。
そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな琥珀《こはく》のパイプをくわえ、吹殻《ふきがら》を藁に落さないよう、眼《め》を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往《い》ったり来たりする。
小屋はずいぶん頑丈《がんじょう》で、学校ぐらいもあるのだが、何せ新式稲扱器械が、六台もそろってまわってるから、のんのんのんのんふるうのだ。中にはいるとそのために、すっかり腹が空《す》くほどだ。そしてじっさいオツベルは、そいつで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、六寸ぐらいのビフテキだの、雑巾《ぞうきん》ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。
とにかく、そうして、のんのんのんのんやっていた。
そしたらそこへどういうわけか、その、白象がやって来た。白い象だぜ、ペンキを塗《ぬ》ったのでないぜ。どういうわけで来たかって? そいつは象のことだから、たぶんぶらっと森を出て、ただなにとなく来たのだろう。
そいつが小屋の入口に、ゆっくり顔を出したとき、百姓どもはぎょっとした。なぜぎょっとした? よくきくねえ、何をしだすか知れないじゃないか。かかり合っては大へんだから、どいつもみな、いっしょうけんめい、じぶんの稲を扱いていた。
ところがそのときオツベルは、ならんだ器械のうしろの方で、ポケットに手を入れながら、ちらっと鋭《するど》く象を見た。それからすばやく下を向き、何でもないというふうで、いままでどおり往ったり来たりしていたもんだ。
するとこんどは白象が、片脚《かたあし》床《ゆか》にあげたのだ。百姓どもはぎょっとした。それでも仕事が忙《いそが》しいし、かかり合ってはひどいから、そっちを見ずに、やっぱり稲を扱いていた。
オツベルは奥《おく》のうすくらいところで両手をポケットから出して、も一度ちらっと象を見た。それからいかにも退屈《たいくつ》そうに、わざと大きなあくびをして、両手を頭のうしろに組んで、行ったり来たりやっていた。ところが象が威勢《いせい》よく、前肢《まえあし》二つつきだして、小屋にあがって来ようとする。百姓どもはぎくっとし、オツベルもすこしぎょっとして、大きな琥珀のパイプから、ふっとけむりをはきだした。それでもやっぱりしらないふうで、ゆっくりそこらをあるいていた。
そしたらとうとう、象がのこのこ上って来た。そして器械の前のとこを、呑気《のんき》にあるきはじめたのだ。
ところが何せ、器械はひどく廻《まわ》っていて、籾《もみ》は夕立か霰《あられ》のように、パチパチ象にあたるのだ。象はいかにもうるさいらしく、小さなその眼を細めていたが、またよく見ると、たしかに少しわらっていた。
オツベルはやっと覚悟《かくご》をきめて、稲扱《いねこき》器械の前に出て、象に話をしようとしたが、そのとき象が、とてもきれいな、鶯《うぐいす》みたいないい声で、こんな文句を云《い》ったのだ。
「ああ、だめだ。あんまりせわしく、砂がわたしの歯にあたる。」
まったく籾は、パチパチパチパチ歯にあたり、またまっ白な頭や首にぶっつかる。
さあ、オツベルは命懸《いのちが》けだ。パイプを右手にもち直し、度胸を据えて斯《こ》う云った。
「どうだい、此処《ここ》は面白《おもしろ》いかい。」
「面白いねえ。」象がからだを斜《なな》めにして、眼を細くして返事した。
「ずうっとこっちに居たらどうだい。」
百姓どもははっとして、息を殺して象を見た。オツベルは云ってしまってから、にわかにがたがた顫《ふる》え出す。ところが象はけろりとして
「居てもいいよ。」と答えたもんだ。
「そうか。それではそうしよう。そういうことにしようじゃないか。」オツベルが顔をくしゃくしゃにして、まっ赤になって悦《よろこ》びながらそう云った。
どうだ、そうしてこの象は、もうオツベルの財産だ。いまに見たまえ、オツベルは、あの白象を、はたらかせるか、サーカス団に売りとばすか、どっちにしても万円以上もうけるぜ。
第二日曜
オツベルときたら大したもんだ。それにこの前稲扱小屋で、うまく自分のものにした、象もじっさい大したもんだ。力も二十馬力もある。第一みかけがまっ白で、牙《きば》はぜんたいきれいな象牙《ぞうげ》でできている。皮も全体、立派で丈夫《じょうぶ》な象皮なのだ。そしてずいぶんはたらくもんだ。けれどもそんなに稼《かせ》ぐのも、やっぱり主人が偉《えら》いのだ。
「おい、お前は時計は要《い》らないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、オツベルは琥珀のパイプをくわえ、顔をしかめて斯う訊《き》いた。
「ぼくは時計は要らないよ。」象がわらって返事した。
「まあ持って見ろ、いいもんだ。」斯う言いながらオツベルは、ブリキでこさえた大きな時計を、象の首からぶらさげた。
「なかなかいいね。」象も云う。
「鎖《くさり》もなくちゃだめだろう。」オツベルときたら、百キロもある鎖をさ、その前肢にくっつけた。
「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいう。
「靴《くつ》をはいたらどうだろう。」
「ぼくは靴などはかないよ。」
「まあはいてみろ、いいもんだ。」オツベルは顔をしかめながら、赤い張子の大きな靴を、象のうしろのかかとにはめた。
「なかなかいいね。」象も云う。
「靴に飾《かざ》りをつけなくちゃ。」オツベルはもう大急ぎで、四百キロある分銅を靴の上から、穿《は》め込んだ。
「うん、なかなかいいね。」象は二あし歩いてみて、さもうれしそうにそう云った。
次の日、ブリキの大きな時計と、やくざな紙の靴とはやぶけ、象は鎖と分銅だけで、大よろこびであるいて居《お》った。
「済まないが税金も高いから、今日はすこうし、川から水を汲《く》んでくれ。」オツベルは両手をうしろで組んで、顔をしかめて象に云う。
「ああ、ぼく水を汲んで来よう。もう何ばいでも汲んでやるよ。」
象は眼を細くしてよろこんで、そのひるすぎに五十だけ、川から水を汲んで来た。そして菜っ葉の畑にかけた。
夕方象は小屋に居て、十|把《ぱ》の藁《わら》をたべながら、西の三日の月を見て、
「ああ、稼《かせ》ぐのは愉快《ゆかい》だねえ、さっぱりするねえ」と云っていた。
「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」オツベルは房《ふさ》のついた赤い帽子《ぼうし》をかぶり、両手をかくしにつっ込んで、次の日象にそう言った。
「ああ、ぼくたきぎを持って来よう。いい天気だねえ。ぼくはぜんたい森へ行くのは大すきなんだ」象はわらってこう言った。
オツベルは少しぎょっとして、パイプを手からあぶなく落としそうにしたがもうあのときは、象がいかにも愉快なふうで、ゆっくりあるきだしたので、また安心してパイプをくわえ、小さな咳《せき》を一つして、百姓どもの仕事の方を見に行った。
そのひるすぎの半日に、象は九百把たきぎを運び、眼を細くしてよろこんだ。
晩方象は小屋に居て、八把の藁をたべながら、西の四日の月を見て
「ああ、せいせいした。サンタマリア」と斯《こ》うひとりごとしたそうだ。
その次の日だ、
「済まないが、税金が五倍になった、今日は少うし鍛冶場《かじば》へ行って、炭火を吹《ふ》いてくれないか」
「ああ、吹いてやろう。本気でやったら、ぼく、もう、息で、石もなげとばせるよ」
オツベルはまたどきっとしたが、気を落ち付けてわらっていた。
象はのそのそ鍛冶場へ行って、べたんと肢を折って座《すわ》り、ふいごの代りに半日炭を吹いたのだ。
その晩、象は象小屋で、七|把《わ》の藁をたべながら、空の五日の月を見て
「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言った。
どうだ、そうして次の日から、象は朝からかせぐのだ。藁も昨日はただ五把だ。よくまあ、五把の藁などで、あんな力がでるもんだ。
じっさい象はけいざいだよ。それというのもオツベルが、頭がよくてえらいためだ。オツベルときたら大したもんさ。
第五日曜
オツベルかね、そのオツベルは、おれも云おうとしてたんだが、居なくなったよ。
まあ落ちついてききたまえ。前にはなしたあの象を、オツベルはすこしひどくし過ぎた。しかたがだんだんひどくなったから、象がなかなか笑わなくなった。時には赤い竜《りゅう》の眼をして、じっとこんなにオツベルを見おろすようになってきた。
ある晩象は象小屋で、三把の藁をたべながら、十日の月を仰《あお》ぎ見て、
「苦しいです。サンタマリア。」と云ったということだ。
こいつを聞いたオツベルは、ことごと象につらくした。
ある晩、象は象小屋で、ふらふら倒《たお》れて地べたに座り、藁もたべずに、十一日の月を見て、
「もう、さようなら、サンタマリア。」と斯う言った。
「おや、何だって? さよならだ?」月が俄《にわ》かに象に訊《き》く。
「ええ、さよならです。サンタマリア。」
「何だい、なりばかり大きくて、からっきし意気地《いくじ》のないやつだなあ。仲間へ手紙を書いたらいいや。」月がわらって斯う云った。
「お筆も紙もありませんよう。」象は細ういきれいな声で、しくしくしくしく泣き出した。
「そら、これでしょう。」すぐ眼の前で、可愛《かあい》い子どもの声がした。象が頭を上げて見ると、赤い着物の童子が立って、硯《すずり》と紙を捧《ささ》げていた。象は早速手紙を書いた。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出て来て助けてくれ。」
童子はすぐに手紙をもって、林の方へあるいて行った。
赤衣《せきい》の童子が、そうして山に着いたのは、ちょうどひるめしごろだった。このとき山の象どもは、沙羅樹《さらじゅ》の下のくらがりで、碁《ご》などをやっていたのだが、額をあつめてこれを見た。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出てきて助けてくれ。」
象は一せいに立ちあがり、まっ黒になって吠《ほ》えだした。
「オツベルをやっつけよう」議長の象が高く叫《さけ》ぶと、
「おう、でかけよう。グララアガア、グララアガア。」みんながいちどに呼応する。
さあ、もうみんな、嵐《あらし》のように林の中をなきぬけて、グララアガア、グララアガア、野原の方へとんで行く。どいつもみんなきちがいだ。小さな木などは根こぎになり、藪《やぶ》や何かもめちゃめちゃだ。グワア グワア グワア グワア、花火みたいに野原の中へ飛び出した。それから、何の、走って、走って、とうとう向うの青くかすんだ野原のはてに、オツベルの邸《やしき》の黄いろな屋根を見附《みつ》けると、象はいちどに噴火《ふんか》した。
グララアガア、グララアガア。その時はちょうど一時半、オツベルは皮の寝台《しんだい》の上でひるねのさかりで、烏《からす》の夢《ゆめ》を見ていたもんだ。あまり大きな音なので、オツベルの家の百姓どもが、門から少し外へ出て、小手をかざして向うを見た。林のような象だろう。汽車より早くやってくる。さあ、まるっきり、血の気も失せてかけ込《こ》んで、
「旦那《だんな》あ、象です。押し寄せやした。旦那あ、象です。」と声をかぎりに叫んだもんだ。
ところがオツベルはやっぱりえらい。眼をぱっちりとあいたときは、もう何もかもわかっていた。
「おい、象のやつは小屋にいるのか。居る? 居る? 居るのか。よし、戸をしめろ。戸をしめるんだよ。早く象小屋の戸をしめるんだ。ようし、早く丸太を持って来い。とじこめちまえ、畜生《ちくしょう》めじたばたしやがるな、丸太をそこへしばりつけろ。何ができるもんか。わざと力を減らしてあるんだ。ようし、もう五六本持って来い。さあ、大丈夫だ。大丈夫だとも。あわてるなったら。おい、みんな、こんどは門だ。門をしめろ。かんぬきをかえ。つっぱり。つっぱり。そうだ。おい、みんな心配するなったら。しっかりしろよ。」オツベルはもう支度《したく》ができて、ラッパみたいないい声で、百姓どもをはげました。ところがどうして、百姓どもは気が気じゃない。こんな主人に巻き添《ぞ》いなんぞ食いたくないから、みんなタオルやはんけちや、よごれたような白いようなものを、ぐるぐる腕《うで》に巻きつける。降参をするしるしなのだ。
オツベルはいよいよやっきとなって、そこらあたりをかけまわる。オツベルの犬も気が立って、火のつくように吠《ほ》えながら、やしきの中をはせまわる。
間もなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしゃばしゃくらくなり、象はやしきをとりまいた。グララアガア、グララアガア、その恐《おそ》ろしいさわぎの中から、
「今助けるから安心しろよ。」やさしい声もきこえてくる。
「ありがとう。よく来てくれて、ほんとに僕《ぼく》はうれしいよ。」象小屋からも声がする。さあ、そうすると、まわりの象は、一そうひどく、グララアガア、グララアガア、塀《へい》のまわりをぐるぐる走っているらしく、度々中から、怒《おこ》ってふりまわす鼻も見える。けれども塀はセメントで、中には鉄も入っているから、なかなか象もこわせない。塀の中にはオツベルが、たった一人で叫んでいる。百姓どもは眼もくらみ、そこらをうろうろするだけだ。そのうち外の象どもは、仲間のからだを台にして、いよいよ塀を越《こ》しかかる。だんだんにゅうと顔を出す。その皺《しわ》くちゃで灰いろの、大きな顔を見あげたとき、オツベルの犬は気絶した。さあ、オツベルは射《う》ちだした。六連発のピストルさ。ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ところが弾丸《たま》は通らない。牙《きば》にあたればはねかえる。一|疋《ぴき》なぞは斯《こ》う言った。
「なかなかこいつはうるさいねえ。ぱちぱち顔へあたるんだ。」
オツベルはいつかどこかで、こんな文句をきいたようだと思いながら、ケースを帯からつめかえた。そのうち、象の片脚が、塀からこっちへはみ出した。それからも一つはみ出した。五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来た。オツベルはケースを握ったまま、もうくしゃくしゃに潰《つぶ》れていた。早くも門があいていて、グララアガア、グララアガア、象がどしどしなだれ込む。
「牢《ろう》はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチのようにへし折られ、あの白象は大へん瘠《や》せて小屋を出た。
「まあ、よかったねやせたねえ。」みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはずしてやった。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。
おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
第一日曜
オツベルときたら大したもんだ。稲扱《いねこき》器械の六台も据《す》えつ
けて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。
十六人の百姓《ひゃくしょう》どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏《
ふ》んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしから扱《こ》いて行
く。藁《わら》はどんどんうしろの方へ投げられて、また新らしい山になる。そ
こらは、籾《もみ》や藁から発《た》ったこまかな塵《ちり》で、変にぼうっと
黄いろになり、まるで沙漠《さばく》のけむりのようだ。
そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな琥珀《こはく》のパイプをくわ
え、吹殻《ふきがら》を藁に落さないよう、眼《め》を細くして気をつけながら、
両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往《い》ったり来たりする。
小屋はずいぶん頑丈《がんじょう》で、学校ぐらいもあるのだが、何せ新式稲
扱器械が、六台もそろってまわってるから、のんのんのんのんふるうのだ。中に
はいるとそのために、すっかり腹が空《す》くほどだ。そしてじっさいオツベル
は、そいつで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、六寸ぐらいのビフテキだの、
雑巾《ぞうきん》ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。
とにかく、そうして、のんのんのんのんやっていた。
そしたらそこへどういうわけか、その、白象がやって来た。白い象だぜ、ペン
キを塗《ぬ》ったのでないぜ。どういうわけで来たかって? そいつは象のこと
だから、たぶんぶらっと森を出て、ただなにとなく来たのだろう。
そいつが小屋の入口に、ゆっくり顔を出したとき、百姓どもはぎょっとした。
なぜぎょっとした? よくきくねえ、何をしだすか知れないじゃないか。かかり
合っては大へんだから、どいつもみな、いっしょうけんめい、じぶんの稲を扱い
ていた。
ところがそのときオツベルは、ならんだ器械のうしろの方で、ポケットに手を
入れながら、ちらっと鋭《するど》く象を見た。それからすばやく下を向き、何
でもないというふうで、いままでどおり往ったり来たりしていたもんだ。
するとこんどは白象が、片脚《かたあし》床《ゆか》にあげたのだ。百姓ども
はぎょっとした。それでも仕事が忙《いそが》しいし、かかり合ってはひどいか
ら、そっちを見ずに、やっぱり稲を扱いていた。
オツベルは奥《おく》のうすくらいところで両手をポケットから出して、も一
度ちらっと象を見た。それからいかにも退屈《たいくつ》そうに、わざと大きな
あくびをして、両手を頭のうしろに組んで、行ったり来たりやっていた。ところ
が象が威勢《いせい》よく、前肢《まえあし》二つつきだして、小屋にあがって
来ようとする。百姓どもはぎくっとし、オツベルもすこしぎょっとして、大きな
琥珀のパイプから、ふっとけむりをはきだした。それでもやっぱりしらないふう
で、ゆっくりそこらをあるいていた。
そしたらとうとう、象がのこのこ上って来た。そして器械の前のとこを、呑気
《のんき》にあるきはじめたのだ。
ところが何せ、器械はひどく廻《まわ》っていて、籾《もみ》は夕立か霰《あ
られ》のように、パチパチ象にあたるのだ。象はいかにもうるさいらしく、小さ
なその眼を細めていたが、またよく見ると、たしかに少しわらっていた。
オツベルはやっと覚悟《かくご》をきめて、稲扱《いねこき》器械の前に出て、
象に話をしようとしたが、そのとき象が、とてもきれいな、鶯《うぐいす》みた
いないい声で、こんな文句を云《い》ったのだ。
「ああ、だめだ。あんまりせわしく、砂がわたしの歯にあたる。」
まったく籾は、パチパチパチパチ歯にあたり、またまっ白な頭や首にぶっつか
る。
さあ、オツベルは命懸《いのちが》けだ。パイプを右手にもち直し、度胸を据
えて斯《こ》う云った。
「どうだい、此処《ここ》は面白《おもしろ》いかい。」
「面白いねえ。」象がからだを斜《なな》めにして、眼を細くして返事した。
「ずうっとこっちに居たらどうだい。」
百姓どもははっとして、息を殺して象を見た。オツベルは云ってしまってから、
にわかにがたがた顫《ふる》え出す。ところが象はけろりとして
「居てもいいよ。」と答えたもんだ。
「そうか。それではそうしよう。そういうことにしようじゃないか。」オツベル
が顔をくしゃくしゃにして、まっ赤になって悦《よろこ》びながらそう云った。
どうだ、そうしてこの象は、もうオツベルの財産だ。いまに見たまえ、オツベ
ルは、あの白象を、はたらかせるか、サーカス団に売りとばすか、どっちにして
も万円以上もうけるぜ。
第二日曜
オツベルときたら大したもんだ。それにこの前稲扱小屋で、うまく自分のもの
にした、象もじっさい大したもんだ。力も二十馬力もある。第一みかけがまっ白
で、牙《きば》はぜんたいきれいな象牙《ぞうげ》でできている。皮も全体、立
派で丈夫《じょうぶ》な象皮なのだ。そしてずいぶんはたらくもんだ。けれども
そんなに稼《かせ》ぐのも、やっぱり主人が偉《えら》いのだ。
「おい、お前は時計は要《い》らないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、
オツベルは琥珀のパイプをくわえ、顔をしかめて斯う訊《き》いた。
「ぼくは時計は要らないよ。」象がわらって返事した。
「まあ持って見ろ、いいもんだ。」斯う言いながらオツベルは、ブリキでこさえ
た大きな時計を、象の首からぶらさげた。
「なかなかいいね。」象も云う。
「鎖《くさり》もなくちゃだめだろう。」オツベルときたら、百キロもある鎖を
さ、その前肢にくっつけた。
「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいう。
「靴《くつ》をはいたらどうだろう。」
「ぼくは靴などはかないよ。」
「まあはいてみろ、いいもんだ。」オツベルは顔をしかめながら、赤い張子の大
きな靴を、象のうしろのかかとにはめた。
「なかなかいいね。」象も云う。
「靴に飾《かざ》りをつけなくちゃ。」オツベルはもう大急ぎで、四百キロある
分銅を靴の上から、穿《は》め込んだ。
「うん、なかなかいいね。」象は二あし歩いてみて、さもうれしそうにそう云っ
た。
次の日、ブリキの大きな時計と、やくざな紙の靴とはやぶけ、象は鎖と分銅だ
けで、大よろこびであるいて居《お》った。
「済まないが税金も高いから、今日はすこうし、川から水を汲《く》んでくれ。」
オツベルは両手をうしろで組んで、顔をしかめて象に云う。
「ああ、ぼく水を汲んで来よう。もう何ばいでも汲んでやるよ。」
象は眼を細くしてよろこんで、そのひるすぎに五十だけ、川から水を汲んで来
た。そして菜っ葉の畑にかけた。
夕方象は小屋に居て、十|把《ぱ》の藁《わら》をたべながら、西の三日の月
を見て、
「ああ、稼《かせ》ぐのは愉快《ゆかい》だねえ、さっぱりするねえ」と云って
いた。
「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」オ
ツベルは房《ふさ》のついた赤い帽子《ぼうし》をかぶり、両手をかくしにつっ
込んで、次の日象にそう言った。
「ああ、ぼくたきぎを持って来よう。いい天気だねえ。ぼくはぜんたい森へ行く
のは大すきなんだ」象はわらってこう言った。
オツベルは少しぎょっとして、パイプを手からあぶなく落としそうにしたがも
うあのときは、象がいかにも愉快なふうで、ゆっくりあるきだしたので、また安
心してパイプをくわえ、小さな咳《せき》を一つして、百姓どもの仕事の方を見
に行った。
そのひるすぎの半日に、象は九百把たきぎを運び、眼を細くしてよろこんだ。
晩方象は小屋に居て、八把の藁をたべながら、西の四日の月を見て
「ああ、せいせいした。サンタマリア」と斯《こ》うひとりごとしたそうだ。
その次の日だ、
「済まないが、税金が五倍になった、今日は少うし鍛冶場《かじば》へ行って、
炭火を吹《ふ》いてくれないか」
「ああ、吹いてやろう。本気でやったら、ぼく、もう、息で、石もなげとばせる
よ」
オツベルはまたどきっとしたが、気を落ち付けてわらっていた。
象はのそのそ鍛冶場へ行って、べたんと肢を折って座《すわ》り、ふいごの代
りに半日炭を吹いたのだ。
その晩、象は象小屋で、七|把《わ》の藁をたべながら、空の五日の月を見て
「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言った。
どうだ、そうして次の日から、象は朝からかせぐのだ。藁も昨日はただ五把だ。
よくまあ、五把の藁などで、あんな力がでるもんだ。
じっさい象はけいざいだよ。それというのもオツベルが、頭がよくてえらいた
めだ。オツベルときたら大したもんさ。
第五日曜
オツベルかね、そのオツベルは、おれも云おうとしてたんだが、居なくなった
よ。
まあ落ちついてききたまえ。前にはなしたあの象を、オツベルはすこしひどく
し過ぎた。しかたがだんだんひどくなったから、象がなかなか笑わなくなった。
時には赤い竜《りゅう》の眼をして、じっとこんなにオツベルを見おろすように
なってきた。
ある晩象は象小屋で、三把の藁をたべながら、十日の月を仰《あお》ぎ見て、
「苦しいです。サンタマリア。」と云ったということだ。
こいつを聞いたオツベルは、ことごと象につらくした。
ある晩、象は象小屋で、ふらふら倒《たお》れて地べたに座り、藁もたべずに、
十一日の月を見て、
「もう、さようなら、サンタマリア。」と斯う言った。
「おや、何だって? さよならだ?」月が俄《にわ》かに象に訊《き》く。
「ええ、さよならです。サンタマリア。」
「何だい、なりばかり大きくて、からっきし意気地《いくじ》のないやつだなあ。
仲間へ手紙を書いたらいいや。」月がわらって斯う云った。
「お筆も紙もありませんよう。」象は細ういきれいな声で、しくしくしくしく泣
き出した。
「そら、これでしょう。」すぐ眼の前で、可愛《かあい》い子どもの声がした。
象が頭を上げて見ると、赤い着物の童子が立って、硯《すずり》と紙を捧《ささ
》げていた。象は早速手紙を書いた。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出て来て助けてくれ。」
童子はすぐに手紙をもって、林の方へあるいて行った。
赤衣《せきい》の童子が、そうして山に着いたのは、ちょうどひるめしごろだ
った。このとき山の象どもは、沙羅樹《さらじゅ》の下のくらがりで、碁《ご》
などをやっていたのだが、額をあつめてこれを見た。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出てきて助けてくれ。」
象は一せいに立ちあがり、まっ黒になって吠《ほ》えだした。
「オツベルをやっつけよう」議長の象が高く叫《さけ》ぶと、
「おう、でかけよう。グララアガア、グララアガア。」みんながいちどに呼応す
る。
さあ、もうみんな、嵐《あらし》のように林の中をなきぬけて、グララアガア、
グララアガア、野原の方へとんで行く。どいつもみんなきちがいだ。小さな木な
どは根こぎになり、藪《やぶ》や何かもめちゃめちゃだ。グワア グワア グワ
ア グワア、花火みたいに野原の中へ飛び出した。それから、何の、走って、走
って、とうとう向うの青くかすんだ野原のはてに、オツベルの邸《やしき》の黄
いろな屋根を見附《みつ》けると、象はいちどに噴火《ふんか》した。
グララアガア、グララアガア。その時はちょうど一時半、オツベルは皮の寝台
《しんだい》の上でひるねのさかりで、烏《からす》の夢《ゆめ》を見ていたも
んだ。あまり大きな音なので、オツベルの家の百姓どもが、門から少し外へ出て、
小手をかざして向うを見た。林のような象だろう。汽車より早くやってくる。さ
あ、まるっきり、血の気も失せてかけ込《こ》んで、
「旦那《だんな》あ、象です。押し寄せやした。旦那あ、象です。」と声をかぎ
りに叫んだもんだ。
ところがオツベルはやっぱりえらい。眼をぱっちりとあいたときは、もう何も
かもわかっていた。
「おい、象のやつは小屋にいるのか。居る? 居る? 居るのか。よし、戸をし
めろ。戸をしめるんだよ。早く象小屋の戸をしめるんだ。ようし、早く丸太を持
って来い。とじこめちまえ、畜生《ちくしょう》めじたばたしやがるな、丸太を
そこへしばりつけろ。何ができるもんか。わざと力を減らしてあるんだ。ようし、
もう五六本持って来い。さあ、大丈夫だ。大丈夫だとも。あわてるなったら。お
い、みんな、こんどは門だ。門をしめろ。かんぬきをかえ。つっぱり。つっぱり。
そうだ。おい、みんな心配するなったら。しっかりしろよ。」オツベルはもう支
度《したく》ができて、ラッパみたいないい声で、百姓どもをはげました。とこ
ろがどうして、百姓どもは気が気じゃない。こんな主人に巻き添《ぞ》いなんぞ
食いたくないから、みんなタオルやはんけちや、よごれたような白いようなもの
を、ぐるぐる腕《うで》に巻きつける。降参をするしるしなのだ。
オツベルはいよいよやっきとなって、そこらあたりをかけまわる。オツベルの
犬も気が立って、火のつくように吠《ほ》えながら、やしきの中をはせまわる。
間もなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしゃばしゃくらくなり、象はや
しきをとりまいた。グララアガア、グララアガア、その恐《おそ》ろしいさわぎ
の中から、
「今助けるから安心しろよ。」やさしい声もきこえてくる。
「ありがとう。よく来てくれて、ほんとに僕《ぼく》はうれしいよ。」象小屋か
らも声がする。さあ、そうすると、まわりの象は、一そうひどく、グララアガア、
グララアガア、塀《へい》のまわりをぐるぐる走っているらしく、度々中から、
怒《おこ》ってふりまわす鼻も見える。けれども塀はセメントで、中には鉄も入
っているから、なかなか象もこわせない。塀の中にはオツベルが、たった一人で
叫んでいる。百姓どもは眼もくらみ、そこらをうろうろするだけだ。そのうち外
の象どもは、仲間のからだを台にして、いよいよ塀を越《こ》しかかる。だんだ
んにゅうと顔を出す。その皺《しわ》くちゃで灰いろの、大きな顔を見あげたと
き、オツベルの犬は気絶した。さあ、オツベルは射《う》ちだした。六連発のピ
ストルさ。ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガ
ア、ところが弾丸《たま》は通らない。牙《きば》にあたればはねかえる。一|
疋《ぴき》なぞは斯《こ》う言った。
「なかなかこいつはうるさいねえ。ぱちぱち顔へあたるんだ。」
オツベルはいつかどこかで、こんな文句をきいたようだと思いながら、ケース
を帯からつめかえた。そのうち、象の片脚が、塀からこっちへはみ出した。それ
からも一つはみ出した。五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来た。オツベ
ルはケースを握ったまま、もうくしゃくしゃに潰《つぶ》れていた。早くも門が
あいていて、グララアガア、グララアガア、象がどしどしなだれ込む。
「牢《ろう》はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチの
ようにへし折られ、あの白象は大へん瘠《や》せて小屋を出た。
「まあ、よかったねやせたねえ。」みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはず
してやった。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそ
う云った。
おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。