No. 1087/1090 Index Prev Next
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From: Ritter ABC
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Subject: Re[2]: 不特定人か不特定多数人か?
Date: Wed, 11 Oct 2000 20:01:11 +0900
Organization: Nifty News Service
Lines: 124
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NNTP-Posting-Date: 11 Oct 2000 11:01:13 GMT
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In-Reply-To: < 8rsnte$9ur$1@pin2.tky.plala.or.jp>
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こんにちは。
"Nakagawa" さん wrote in
Message-ID: < 8rsnte$9ur$1@pin2.tky.plala.or.jp>
> 不特定多数人説を採用した場合には、公衆は多数になり、
> 49条等も、多数に対しての行動を起こした場合を区別するものである
> ということで、理解がしやすくなります。
この点はそのとおりですね。
ただ、特定多数と不特定多数というのは、多数ということで統一してしまって
よいのかどうか。。。
具体的ケースでは、特定しているときはある程度の数であっても少数というこ
とになったり、不特定の場合には逆に多数ということになったりする、あるい
は、そのようにした方が結果が妥当であるといったことも有り得るような気が
します。
その集団について数だけで決められるかという疑問です。
> 一方、不特定人説を採用した場合には、
> 特定の一人に対する行動と、不特定の一人に対する行動を、
> 法律は、適法と違法の境目に用いたことになり、
> なぜそのような規律を要求しているかを理解するのが、
> 私には、そう容易ではありません。
境界という言い方をするとすれば、特定少数とそれ以外とを区別するという方
が良いのかもしれません。例えば、26条の2(譲渡権)の2項3号の「特定
かつ少数の者」といった使用方法です。
> ひとつ考えられるのは、社会慣習との整合であり、
> 特定人への譲渡の必要性は比較的強い場合があり、
> 人間関係に差障りを生じさせてまで、法律を守らせる必要性が薄い、
> と立法者が考えたことです。
> これは立法当時、そして現在でも理解しやすい基準ですが、
> 多様な人間関係が存在し得る現在にあって、
> このような考慮の元で不特定人と特定人を区別するのは、
> 大変に困難なことではないかと思います。
そのとおりですね。
> もうひとつ考えられるのは、複製物転用の機会を制限して、
> 著作権への影響を小さく押さえようとする考えかと思います。
> その場合には、特定人が少数であり、
> その少数の特定人の中に複製物を欲する人間がいる確率が
> 小さい事が前提となりますが、複製物が密接に絡む、
> 特定のサークル等での貸与・譲渡が適法である限り、
> 機会制限の実効は、貸与・譲渡先を特定少数人に限ったところで
> 殆どないのではないかと思います。
そのような配慮ももちろんあると思います。
実効性があるかどうかの判断はかなり微妙ではないでしょうか。。。
> 以上、二つほどの例について考えてみましたが、
> いずれも私には、立法者が予定したほどの理由とは思えません。
>
> > 推測すれば、これは、いろんな事例に適用した場合、不特定人としないと妥当
> > な結論が得られないというところから来ているのではないかと思います。例え
> > ば、私的使用目的で録画していたビデオテープを路上で販売したとします。そ
> > の場合、通行人が買ったとしても、同じビデオは複数存在しないので多数への
> > 販売というのはないことになってしまいます(貸与の場合は、同じビデオテー
> > プを順次多数の者に貸すということは有り得ます。)。
> 通常、見ず知らずの人に、「貸して」「譲って」と言われたときには、
> それに応じる前に、色々なことを貸す側は考えると思います。
> そして、貸す側が、相手がどのような人であるかを推測していくプロセスは、
> 貸す側に対して、借りる側が何らかの信用を勝ち取るプロセスであり、
> 不特定人が特定人に転化するプロセスと殆ど同じだと思います。
> 一方で、販売行為の場合には、信用はまさに「金で買う」ものであり、
> 不特定人が不特定人のままで譲渡が完了します。
>
> したがって、不特定人説をとった場合でも、
> 少なくとも無償貸与の場合には、殆どの場合において、
> 不特定人への貸与とはみなされないという視点が
> あり得るのではないかと思います。
それは、御指摘のとおりだと思います。
ただ、無償貸与という場合が実際にどのような場合に起こり得るのか。よく分
かりません。貸与のために送付すれば、往復にかなりの費用がかかります。
たまたま、すぐ近くに住んでいるのが分かったとか、大学の同級生であること
が分かったとかいう場合でしょうか。
> 一方で、一つのニュースグループで、
> 相互扶助の精神が醸成されてきたとするならば、
> それは参加者が総体として、互いに連帯感を持ったことを
> 意味するわけですから、参加者全体を特定人と見なすことも
> 可能ではないかと思います。
なるほど、その場合、貸与なら説明がつくのですが、譲渡だとやはり説明がつ
かないでしょうか。
小倉さんが指摘されていたのは、この点のようですね。
多分、特定していることを否定するのでしょうね。その人だから譲渡したとい
う関係にないということになるのではないかと思います。
八百屋さんが店に来た隣の魚屋さんや町内の顔見知りの人に野菜を売ったとし
てもそれは特定の人に売ったことにはならないでしょう。そのような感じでし
ょうか。
> 著作権への影響を考えた場合、
> 不特定少数人への貸与・贈与は、影響微小であり、
> 不特定多数人への組織的貸与や、
> 該著作物への嗜好の点で著しい共通点を持つ
> 特定(多数・少数)人への貸与は影響大であることを考えると、
> 特定少数人を許容しておきながら、
> ことさらに不特定少数人を公衆に含める理由が、
> 私には、すんなりとは納得できません。
やはり、閉鎖的な小社会での使用は弊害はないが、開放的な社会への持出しは、
著作者の経済的利益保護という観点から問題があるということでしょうか。
もう少し、著作権法が「公衆」概念により一体何を区別使用としているのか考
えてみたいと思います。
法律論 大歓迎!
--
Ritter ABC
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