No. 686/1090 Index Prev Next
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From: Hideaki Iwata
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: fj 社会での公正
Date: Thu, 07 Sep 2000 23:58:23 +0900
Organization: WAKWAK Internet service
Lines: 80
Distribution: fj
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ひで@自宅です。
Nakagawa wrote:
>
> 中川@つくば です
> なんですから。
>
> 審議会報告は、法律の解釈では、重要な資料になるのでしょうか。
はい、そうです。自宅なんで資料がすぐに見つからないんだけど、著作権侵害
に関する民事訴訟判決において、裁判官が立法精神についての判断を下す際、
「審議会報告○○の記述からもこの点は明らかである」という表現をしている
ものは一つや二つではありません。
> そうだとしたら、この報告を元に、「法律の趣旨からして」とやられると、
> いわゆる通説が判例として出るのが予想され、
> 結果、私は、法律だからと割り切るしかない立場に追いこまれそうです。
一般的な流れは、
審議会報告の提出 -> 政府による立法化作業 -> 国会審議 -> 可決成立
ですから、正確には「法律の趣旨」ではなく「立法精神(趣旨)」ですね。
> かつて、著作物(本)がとても高くて、
> 皆が買うなんて、想像も出来なかったときに、
> 青焼きコピーを作って配る、なんてことは、
> きっと著作者に失礼なんだろうと思いながら、
> あちこちでやられていました。
確か数ヶ月前、どっかの田舎から福沢諭吉の「学問のすすめ」の海賊本が
見つかったって報道がありましたね。なんでもこの本の海賊版が大量に出
回り、それに業を煮やした福沢諭吉が時の政府に対し、海賊本の規制を強く
働きかけたそうな。で、その海賊本ってのはほとんど現存してなくて、どっか
の大学の図書館に一冊、ってレベルらしい。
> 「家庭内に準ずる」と言ったとき、「準ずる」が何を示すのかは
> 「家庭」にどのような特徴を認めるかによって決まるでしょう。
> 通説は、人間関係の強さに特徴を求め、
> 類似するものとして「親友」を例示していますが…
プラス、通説では人数的な制限も認めています。人間関係+総数、って
のが通説。あなたがどう考えようが、残念ながら通説は通説です。
# もちろん、通説を非難するのは自由ですが、その場合は、むしろ
# 立法論として論じたほうが建設的だと思う。
> 上のような、一見不思議な現象がおこるのは、
> 「家庭での人間関係は、親友の親密度が大きくなったもの」
> なんて理解が、トンチンカンだからです。
> 親密度というものは、一次元の尺度では計れません。
と考えるなら、現行著作権法の改正に努力するのが筋ではありませんか?
法律は普遍なものではなく、人間が作り出したものなんだから。
> 今の法律がそうだ、というのなら、
> そんなもんだと割り切るしかありませんが、
> なんとも割り切れないものが残ります。
矛盾しているね。「割り切るしかない」-> 「でも割り切れない」となると、
割り切れない自分が悪いのか、あるいは割り切れない社会、この場合は
法律が悪いのか、という議論になるはずなんだけど....
で、仮に後者ならば、それは現行著作権制度の解釈論にケチをつけるので
はなく、現行著作権制度を支える法律の条文そのものにケチを付け、
立法論として論じるべきですよね。
解釈論にいくらケチ付けたった、通説は容易に変わらない。
典型的な例としては、昨年に東京地裁で下された中古ソフト販売に関する
判決で、これは、従来裁判所が下してきた判断とは180度違っていました。
これは、担当裁判官がそれまでの裁判所の判断を通説と認めず、より合理
だと考えられる説を通説である、と宣言した状態になります。
しかし残念なことに、直後にほぼ同じ事案が、大阪地方裁判所で従来通り
の通説を通説と認める判断を下しました。
いずれにしろ、「理解がトンチンカン」という程度の説明で通説を覆すの
は非常に困難だと思いますよ。「トンチンカンな理解を生み出している
条文が悪いんだ」と言ったほうが、まだ賛同は得られやすいと思うけど。
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