No. 864/1090 Index Prev Next
Path: ie.u-ryukyu.ac.jp!hakata!aero.kyushu-u!newsfeed.media.kyoto-u.ac.jp!newsfeed.mesh.ad.jp!newsgate1.web.ad.jp!news.nifty.com!not-for-mail
From: Richter ABC 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: 30条と49条 (罰則関係)
Date: Thu, 21 Sep 2000 20:49:57 +0900
Organization: Nifty News Service
Lines: 223
Message-ID: < 20000921204957L2QpjNDTz$6@news.nifty.com> 
References: < m3hf7a2vvs.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp> 
NNTP-Posting-Host: ntttkyo06081.ppp.infoweb.ne.jp
Mime-Version: 1.0
Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP
Content-Transfer-Encoding: 7bit
X-Trace: nw041.infoweb.ne.jp 969537001 19825 202.233.223.81 (21 Sep 2000 11:50:01 GMT)
X-Complaints-To: -
NNTP-Posting-Date: 21 Sep 2000 11:50:01 GMT
X-Newsreader: EdMax Ver2.75
In-Reply-To: < m3hf7a2vvs.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp> 
Xref: ie.u-ryukyu.ac.jp fj.soc.copyright:11866

こんにちは。

Hideaki Iwata  さん wrote:

>  >  私は、気持ちよく貸してあげるべきだと思います。
>  >  法律は、それができないような国民感情を無視した規定を設けてはいません。
>  
>  規定を設けています。なぜ「設けていない」と考えるのか、説明して
>  下さい。

既に、何回も説明しているのですが、もう一度説明します。


>  たぶん、ほとんど全ての著作権法の解説書で説明されていると思いま
>  すが、30条1項を適用する以上、複製物を融通し合う二人の関係は
>  「家庭内に準ずる限られた範囲」でなければなりません。

30条1項は、複製権の制限規定であり、複製行為の適法要件を規定した条項
です。
そのことは、「複製することができる。」としている条文の文言から明らかで
す。

30条1項は、貸与行為が適法かどうかについては、なんら規定してません。
貸与の適法要件を規定するのであれば、「貸与することができる。」と規定し
ます。

何度も述べているように、著作者は、21条、2条1項15号から明ら
かになように「複製する権利を専有する」、すなわち、「有形的に再製する権
利を専有する」のですが、貸与は、「有形的な再製」ではないので、複製権が
及ばないのは当然のことです。

そうでなければ、どうしてわざわざ、貸与権(26条の3)などを規定を新し
く設ける必要があるのでしょうか。


貸与行為が複製権との関係で違法となる場合を規定しているのは49条です。
それと、113条もそうですね。


30条が貸与行為の適法性の要件を規定しているというのであれば、
上記のようにその文言が「複製することができる。」として複製要件しか記載
していない以上、そのように主張する者がその法的根拠を論理的に説明すべき
です。(もし、私にそのようにして見ろといわれれば、一応、法理論らしい説
明はできますが、著作権法全体を見た場合には、どうしても無理だと思ってい
ます。なお、私は、職業柄、常に自説に反対の立場から自説を検討しています。)


>  つまり法は、「上司」「部下」といった人間関係を求めてはいません。
>  二人の肩書きはどうでもいいのです。二人の間に存在する(はず)の、
>  日常的な人間関係を客観的に評価することを要求しています。
>  
>  だから、「上司」ってのは著作権法上は何の意味も持ちません。
>  二人が「家庭内に準ずる限られた範囲」にあると客観的に認められる
>  ならば30条を適用して著作者の権利を制限できますし、認められなけ
>  れば、他の権利制限に合致しない限り、著作者に無断で同行為を行な
>  うことは不法行為に当たります。
>  
>  この大原則を無視する理由は何ですか?

私は、「家庭内に準ずる範囲内」にない例とするために「上司」という例を出
しているのです。

そして、家庭内に準ずる範囲内にない特定の者に貸与する行為は、30条によ
り違法とされることはなく、49条の公衆要件を欠いているので同条により違
法とされることもないと述べているのです。

そして、そのような解釈をとっても、通常の場合には、特に国民感情に反する
結果にはならないと思っています(ただし、何度も述べていることですが、複
写技術の進歩、PCを利用したファイルの複写などにより、妥当でない場合が
生ずる可能性があります。その場合について、解釈でどの程度補えるか、ある
いは立法をすべきか、どのような内容の立法をすべきか、といったことについ
て意見交換をしたくてここにいるのです。)。

複製行為の適法性を判断する場合に、その目的が「家庭内に準ずる範
囲内」の使用にあるかどうかが問題となるのは当然ですが、貸与行為が適法か
どうかについては、49条を適用する前提でそれが問題となるのです。
貸与行為に30条の適用はないし、30条は、複製者に複製後のなんらかの作
為又は不作為を命じているとまでは言えないので、貸与行為が30条に違反す
ることはありません。


>  >  しかし、あまりにも規制を厳しくすると、国民感情に合わない場合が出てくる
>  >  ので、そのあたりはやかましく言わないで、弊害の出るような場合、公衆に貸
>  >  与するような場合のみ、その貸与行為を複製とみなすようにして、その範囲で
>  >  複製権の効力を広げたのが、49条です。
>  
>  で、その判断は誰がするのですか?ABC氏ですか?

私は、法律の解釈を述べているのです。各規定の関係から49条が設けられて
いる趣旨を述べているのです。そして、これは法律解釈では伝統的な方法です。

>  人は神様にはなれません。またなるべきでもありません。
>  人が神として振舞っていた時代に、幾多もの悲劇が生じたから、人は
>  法を民主的な手段で整備し、出来る限り公平かつ民主的に法を運用す
>  る手段を模索し続けているのです。
>  その「法の現実的運用」部分と、「法が唱える理念/理想」とを
>  ごっちゃに議論することに、何か意味はあるのですか?

別にごっちゃにしていません。
法律論、法律解釈の域を出ているとは思いません。
法律論には法律論で反論しましょう。
 
>  先日、たばこ三本を窃盗した罪である男に実刑判決が下されました。
>  また、以前には確か3円だか5円だかの窃盗でも、実刑判決が下されて
>  います。社会的に言えば、罪の重さに窃盗額の大小は影響を与えませ
>  ん。被告人が、どういった状況でどういった行動を取ったのか、が
>  その罪の重さを決定しています。
>  当人が不法行為を行なったか否か?という問題とは、全く別の次元の
>  話なんです。

趣旨が理解できません。

なお、著作権法で著作権の侵害について刑事責任と民事責任とで区別している
のは、119条1項の最後の括弧内の部分です。しかも、これは比較的最近に
30条に自動機器の要件が付加されたときに設けられたものであったはずです。
それより以前は、民事責任と刑事責任とで差異はなかったと思います。そして、
そのような時代から30条も49条もあるのです。だから、30条により複製
権の侵害となるので民法上違法であるが、刑法上違法ではないといった区別は
しようがなかったのです。
そのような立法の経緯を無視した民事責任、刑事責任の分離論は法解釈として
は無理です。
 
>  佐々木氏以下が何度もおっしゃってますが、30条はあくまでも著作者の
>  権利を制限している条項に過ぎません。本来著作者が専有する複製権を、
>  ある状況下では制限しましょう、と、人為的に定めているに過ぎません。

「本来著作者が専有する複製権」という部分が異なるのです。
そうではなく、価値中立的に法は切り分けているというのが私の意見です。そ
して、私が読む限り、どの基本書もそうです。

例えば、半田正夫先生の「著作権法概説」第1版は、52頁で次のように述べ
ています。
「 ここでいう「公正な利用」とは、あくまでも一般公衆による著作物の利用
を指し、これらの者による一定限度内での著作物利用が自由である一方、他方
では著作者等の権利がこれによって制約を課せられることを意味しているもの
と解すべきである。これは決して著作者等の利益保護を第一義とするというこ
とと矛盾するものではない。著作物は著作者一個人の財産としての側面を有す
ると同時に、国民共通の財産としての側面をも有し、また著作者自身、著作物
を創作するに当たっては先人の文化遺産をなんらかの形で摂取しているのであ
るから、著作物の利用を永久にかつ無制約に著作者の恣意にのみまかせること
は許されず、著作権の保護には一定の限界があることは当然の宿命なのである。
このことは著作権に内在する制約として著作権制度確立期以後におけるすべて
の国の立法上の原則となっている。「公正な利用…」の文言はまさにこの趣旨
を述べたものであり、これを具体化したものとして三〇条ないし五〇条の「著
作権の制限」、および51条ないし五八条の「保護期間」の規定が置かれてい
る。」

そして、著作権の限界の序説として132頁で次のように述べています。
「ただここで問題となるのは、著作物による独占的利益の保障をあくまで貫徹
したいと考える著作者側の願望と、できるかぎり著作物の自由利用が認められ
たいと欲する国民一般の願望をどこで調和させるかにある。これは立法政策の
問題であり、わが現行法もこの点について最大の苦心を払っている。」

私は、立法政策として採用された結論を条文の文言に従い、かつ、法論理に従
って忠実に述べているだけです。


>  30条を含む制限条項に合致しない場合は、著作者の専有権は成立します。
>  それが現実です。

複製権の内容(21条、2条1項15号)自体から貸与には特別の規定がない
限り、複製権の効力が及ばないのは当然のことです。

 
>  >  「趣旨に大きく反して」というのは、49条に規定している「公衆要件」を備
>  >  える場合です。
>  >  
>  >  もっとも、立法当時は、そのような趣旨で各規定が設けられたとしても、メデ
>  >  ィアの進歩、複写技術の進歩などにより、当否ということでは問題が出てくる
>  >  場面もいろいろあるでしょうね。その場合、解釈で補えない場合には、法改正
>  >  をすべきです。
>  
>  いや、その、解釈において、30条の適用ケースで貴殿が言う「上司」を是
>  とする説ってどっかに存在しますか?
>  私が知る限り、全ての解釈論において、「家庭内に準ずる限られた範囲」
>  に「上司」「部下」という肩書上の人間関係を含む、とは論じてません。

30条の問題ではないと何度も述べています。
また、上司は、「家庭内に準ずる限られた範囲」でないという例として挙げて
いるのです。


>  そういった肩書には関係なく、二人の実質的な人間関係こそが、30条に
>  よって制限を加える趣旨である、と論じています。
>  
>  だからこそ、fjに貸与を呼びかける記事が載ると、
>  
>  「あなたがしようとしていることは、著作者の許諾を得るか、あるいは
>  貸してくれる人と客観的に見て家庭内に準ずる親しい人間関係を得るまで
>  熟成を重ねない限り、不法行為となりますよ。」
>  
>  との指摘がなされる訳です。また、この指摘は十分に妥当なものなんです。
>  法律の解釈論(通説)に載っとれば。

通説というのは、一体、どこの通説でしょうか。
もし、法律家の著した文献があれば、2、3挙げてください。
仮に、なんども挙げられている報告書をいわれるのであれば、法律論において
は、それをもって通説とは言いません。

>  この原則を敢えて無視する理由が、私には判りません。
>  
>  # 匿名投稿というのと関係あるのですかね?
>  # 実名じゃあこんなことは恥ずかしくて言えない?
>  
>  私を含め、多くの論者は、法律の解釈論を続けているはずです。
>  それが場合によっては「建前」で終るかも知れませんが、たとえ「建前」
>  で終ったとしても、解釈論として適正であれば、十分に有意義なんです。
>  
>  # 建前と現実と本音(己の感情の露呈)を切り分けられない論者っての
>  # は、非常に困った存在となる訳です。


一時的に感情的になって批判されているのではないかと思いますが、私が述べ
ていることが法律の解釈論でないと本気でお考えですか?

なお、私は、匿名を用いてはいますが、公正な法律論を展開しているつもりで
す。そして、冷静に判断される読者は、そのように理解して下さると思います。

法律論  大歓迎!

Richter ABC  
 

Next
Continue < 39CA118B.7D3AEB07@af.wakwak.com>
< 8qdblv$d0d$1@pin2.tky.plala.or.jp>
< 39CAA002.3C0F9056@ma.kcom.ne.jp>
< 20000922125002M.kizu@manazuru.ics.es.osaka-u.ac.jp>
< 20000922144057Q.kizu@manazuru.ics.es.osaka-u.ac.jp>