No. 895/1090 Index Prev Next
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From: Richter ABC
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: 30条と49条 (罰則関係)
Date: Sun, 24 Sep 2000 10:49:25 +0900
Organization: Nifty News Service
Lines: 275
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NNTP-Posting-Date: 24 Sep 2000 01:49:27 GMT
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こんにちは。
Hideaki Iwata さん wrote:
> > なお、例の審議会の報告書の記載を通説などと言えないことは、すでに読者に
> > 明らかになっています。
>
> 私は、審議会報告の記載を通説と考えている、との説を提示はしています。
> また、そう考える理由を私は私なりに説明しているつもりです。
>
> # 解釈論から離れ、立法論、あるいは政治論としてそう考えるのが妥当だ、って
> # 説明です。
なるほど、立法論、政治論として、あれを「通説」と述べておられる訳ですか。
ということは、fj で政治的な配慮の下に投稿されているのですか?
私が見た限り、岩田さんは、法律論として通説であるとの前提の下に、著作権
の解説をしておられたと思いますが。。。
法律論として「説」というためには、結論のみではなく、その結論に至った理
由が示されていなければなりません。
それは、法律学だけではなく、他の分野でも「科学」というためには必須のこ
とではありませんか?
他人に対する言葉による説得を重視する法律論では特にそうです。
法律論では、通説、少数説、有力説、少数有力説などという分類がされますが、
少なくとも通説というためには、相当な数の論者がその点について同じ意見を
述べていなければなりません。
既に述べましたように、例の審議会の報告書の「現行法制」の説明のところで
は、目的外使用に関しては49条があるとの指摘しかされていません。
もし、委員の意見が一致しておれば、そこで、目的外使用はそれだけで著作権
の侵害になると記載するはずです。ところがそのようには記載されていません。
私は、現行法の解釈としては、そこまでしか意見が一致しなかったのではない
かと思います。
岩田さんの指摘されている箇所は、確かに、岩田さんの主張しておられるよう
に読むのが素直かもしれません。
しかし、その部分は、法律の条文からして異論があってしかるべきところです。
それを、特に条文も示さずに結論のみ示してあるのです。そして、その箇所は、
見方によっては、49条のことを述べていると見ることもできます。
玉虫色と言ってもよいのです。
岩田さんも同意されているように、その委員会は、業界の方も含め、大所高所
から政策決定をする委員会です。細かな法律論をする場ではないと思います。
そこでは、正に、自然法思想により著作権は元々著作者が有する権利であり、
著作権法は、それを確認しているに過ぎないという業界の方がおられたかもし
れません。
当然、法律家の委員は反対であったでしょう(それは、現行法制の説明のとこ
ろで49条しか挙げられていないことから推測できます。)。
そして、私は、そのような種々の意見を取りまとめたのがその報告書で
あると思っています。
岩田さんは、その報告書の該当個所を政治論として通説であるとされるのです
が、それならば、そうかもしれません。多分、業界の方は、法律解釈を離れて、
政治行動としてそういう発言をされているのでしょう。
ですから、岩田さんが、学者としてではなく、政治行動としてそのように述べ
られることに対しては、全く、異議を述べるつもりはありません。
私は、「法律論として通説である」とは言ってはいけないと述べているだけで
す。
また、理由が付されていないにもかかわらず、その説を信じるというのでは、
審議会という権威に盲目的に従っていると言われても仕方がありません。
報告書の記載の結論が正しいと思われるのであれば、御自分でその理由付けを
する必要があります。
私は、自分でその理由付けをしてみようとしましたが、納得の行く理由付けが
できませんした。そのことは既に述べているところです。
既にお気づきかもしれませんが、私は、コンメンタールにしても、基本書にし
ても、法律解釈の部分は単に資料としてしか見ていません。自分の頭で考え、
法解釈、法理論として成り立ちうるかどうか、その理論を、想定できる各種事
例に適用した結果、妥当な結論を導き出せるかどうかなどを検討した上、肯定
できると考えた場合に、自分の意見として述べているのです。
ですから、私は、ここでは、考えるための資料としてしか文献を提示してませ
ん。
他方、私は、匿名で投稿し、法的な意見については必ず理由を付していますか
ら、読者は、私の投稿の内容、つまり文字のみを見て、その内容が正しいかど
うか、採用すべきものかどうかを判断できるはずです。
そして、私と自由かつ平等に議論ができます。それが、私が匿名で投稿してい
る理由の一つです。
> しかし、同時に、それに対する異論があることも認めています。
>
> だから、審議会報告の記載の是非を議論する意思はありますが、私自身は、
> その議論にすら入っていない、との認識をもっています。
>
> # 自分の考えを述べただけ。だから、折に触れ、「審議会報告に則れば」
> # と明記しているはず。
そうですか、通説という言葉をしようされないのであれば、異議はありません。
> ABC氏は報告書の記載が法律論として不適当だ、との証明を既にしていると
> 考えている様ですが、それはABC氏の信じる前提に則った結果であり、ある
> 説を信じる以上、当然の帰着です。つまり、ある前提を提示し、その前提に
> 立って推論エンジンを動かせばその結論が導き出されたとして、エンジン部
> 分に問題がない場合、前提の真偽を議論しない以上、結論は合理的かつ論理
> 的帰着と判断できます。
私は、「記載が法律論として不適当」であるとは述べていません。記載が文章
としては不明確であるとの意見は持っています。
また、その結論は、私自身が法的に理由付けをしようとしてできなかったので、
法律論として無理であろうと思っていますが、その理由付けがされれば、検討
しますと述べています。
なお、私は、ある説を信じたりしません。自分でその考えが正しいかどうかを
十分検討した上、正しいと思えば、自分の意見であるとして述べています。
> しかし、前提の真偽を確認しないで求められた結論は、科学的には仮説に過
> ぎません。仮説の是非を検討する方法はいくつもありますが、その際にも前
> 提が間違っている可能性を無視しては不可能です。
>
> ある前提を無条件に信じるという行動は、ある主義を信じることから導き出
> されます。私の基本的な態度は、「ある主義を信じればこういった結論が導
> き出されるが、別の主義を信じればまた違った結論が導き出される」です。
> その上で、個々の説の周辺情報を集めて、可能ならばどの主義を信じるのか
> を決めようとしています。
>
> 実際問題として、私自身の中にはある一定の主義があり、当然、その主義に
> 基づいた主張もあります。しかし、分析の段階においては、その主義主張を
> 一旦横に置いておいて、諸主義を検討しよう、と考えています。
>
> しかし、ABC氏自身においては、自分が信じる主義こそが真実である、との
> 立場を変えられていない様に私には見えます。
私にどのような主義があるというのでしょうか?
私に主義があるとすれば、それは、オーソドックスな、法律家としての法的思
考しかありません。
しかも、私は、法律論として成り立つ見解なら、反対の見解であっても尊重す
ると述べています。法律家というのはそういうものです。それを否定するとい
うことは自らを否定してしまうことになるからです。
岩田さんは、法的思考そのものを否定しておられることになりますよ。
> 「権利の制限」って部分に対し、私が問題としようとしている部分への理解を
> 示さず、ABC氏が自説を断固として主張する姿勢をもって、「合意は不可能」と
> 判断しています。
>
> 少なくとも、ABC氏が唱える「権利の制限」に対する説明は、私が私流に読
> 解する各種解説書及び各種審議会報告に反します。
> しかし、ABC氏は自説とこれら記述との間に論理的矛盾は存在しないし、
> 立法趣旨に則れば自説が適切である、と述べています。
>
> いくつかの文献では、立法趣旨についても論じていますが、少なくとも私は、
> それら記述とABC氏の説明の間に、大きな溝があると考えています。
>
> その溝の存在(私がなぜその溝を認識してているのか?)をABC氏が理解されな
> い以上、私を説得することは絶対に不可能でしょうし(なぜなら、溝を埋める為
> にはどこにどんな溝が存在するのかを正しく認識しないといけない)、また、
> その溝を埋めるお気持ちはABC氏にはなさそうに見えるのです。
いや、私は、参考のために、著作権の立法担当者であったと思われる作花文雄
氏の文献を示していますよ。氏が、文化庁の著作権法の立法担当者であったの
であれば、それが、実際には、文化庁の意見であると考えてよいと思います。
文化庁は、著作者と利用者である一般国民の間にたって公正な立場から著作者
の権利とすべきところと利用者である一般国民が自由利用できるところとを切
り分けようとしていると言って良いでしょう。
もう一度、下に引用しますから、「本来」と「制限」というところを良く読ん
でお考え下さい。
「文化庁著作権課課長補佐・大臣官房総務課法令審議室長」を歴任されて横浜
国立大学国際社会科学研究所助教授をされている作花文雄氏は、その著書であ
る詳解・著作権法の270頁から271頁にかけて次のように述べています。
「権利者の持つ権利、例えば複製権は、「本来」あらゆる複製に対して及ぶべ
きものであり、いろいろな都合で一部「制限」されているに過ぎないのである
とする考え方がある。
<中略>
<このような>考え方は、権利者側が政府や一般社会に対する効果的な主張方
法として意図的に言及する場合はともかくとして、そうでない場合には、理解
し得ないものである。本来的に著作物の全ての利用に対して権利が及んでしか
るべきとする考え方は、法上「制限」という言葉を用いていることからくる誤
解かもしれない。あるいは著作権思想は自然法概念や天賦人権論の発達を背景
として進歩したところからして、著作権は著作物全ての利用をカバーすること
が本来的に必然のものであるかのような誤解が生じていることからくるものか
もしれない。しかし、法上「制限」としているのは、例えば、複製権で考えれ
ば、何も全ての複製行為に権利を及ぼすことが必然的なものではなく、権利の
対象範囲を明記する場合の立法技術として、権利が働く複製の態様を全て積み
上げていく方式によるか、それとも全体の中から権利が及ばない範囲の態様の
複製行為を差し引く方式を採るかという問題である。複製行為の具体的態様に
は種々のものがある以上、後者の方式により立法せざるを得ない。観念的な話
ではあるが、あるべきものが制限されているのではなく、本来権利の内容では
ないのである。」
つまり、作花氏は、岩田説は権利者側が政府や一般社会に対する効果的な主張
方法として意図的に言及する場合はともかくとして、そうでない場合には、理
解し得ないものであると述べていますね。
そして、岩田さんは、例の報告書の記載は、政治論として通説であるという意
味であると述べられましたが、まさに、そのことを作花氏は述べておられるの
だと思います。そして、報告書の記載は、そのような政治的な意見を反映して
いると見るべきであり、法律が作花氏と同じ考えに基づいて制定されているた
め、法律論として理論付けできないのはそのためではないでしょうか?
岩田さんは、学者として意見を述べておられるのではないのですか?
> # 加戸先生の本は持ってないからなんともいえないけど、田村先生の本にも同様
> # の記述があったことは、私も確認済み。今、手元にないけど:-)
>
> それでもなお、「我々法律専門家の間では共通したもの」と主張されているから、
> 私は撤退する意思を表明しています。
>
> # 確かコンメもお持ちだったはずですよね。この記述でも駄目?
しかし、そのコンメンタールの編者兼著者の小倉秀夫氏も、この議論について、
以下のように述べておられますよ。その投稿は読まれなかったのですか?
< 39CAA002.3C0F9056@ma.kcom.ne.jp>
> ABCさんの議論は、ベーシックな法律解釈論ですね。
> (といいますか、普通に21条、30条、49条を解釈すると、そうならざるを得
> ないようにすら思うのですが。)
>
> 私は、一応、実名で、紙媒体に、同様の趣旨を述べているのですが、恥ずかしいと
> は全然思わなかったのですが。
岩田さんは、立法技術という点がまだ十分にお分かりになっていないから、
「制限」という文字に惑わされているのですよ。
それは、先に挙げた作花氏の記述の中にも指摘されている誤った見解です。
法律家は、みんな、制限というのがそういう意味であることを知った上で「著
作権の制限」という法律用語を使用しているのですよ。
コンメンタールもそうだと思います。法律家の思考というのは、基本的に同じ
なのですよ。
> # 私が盲目的に信じているのではない、って言っても信じてくれない?
私は、最初の投稿で、岩田さんが論理的に考えようとされていることに敬意を
示しました。その考えは、現在でも変わらないのですが、残念ながら、岩田さ
んは、まだ、法的思考ができていないと思います。
もっとも、法学部を卒業された方でも法的思考(リーガルマインドと言いま
す。)が十分ではない方が多いのでそれを法律を専門に学んで来られていない
方に直ちに要求するのは無理だとよく分かっています。
私自身、実務についてから10年ほど経った時点でようやく分かったと確信で
きたのですから。
そして、それがもう一昔以上前のことなのです。
> # なるほど、そういう立場からも著作権法の解釈に努力してみる価値はあるな?
> # とはお考えにならない?
何度も述べていますように、私は、反対説があるときは、それが成り立つかど
うか、その説を根拠付ける論理はないかを常に考えています。
反対説がないときも、初めての問題については、それ以上に考えることが多い
のです。
法律の議論をするときは、そのように検討した上で、自説を述べているのです。
そのため、読まれる方はいやに自信たっぷりに発言していると思われるかもし
れませんが、反対説を頭から否定することはありません。
何度も述べていますように、法的意見を述べるのであれば、理由をつけて下さ
い。文献の提示は不要です。記載された文言からそれが正当かどうかを判断し
ます。
なお、文献はたくさん読まれる必要はありません。条文の文言を重視しながら、
基本書とコンメンタールをじっくり読まれることをお勧めします。
基本書としては、半田先生の教科書(これはお持ちのはずですね。)と作花氏
の著作権法(これには最新の立法まで解説されています。)をお勧めします。
法的思考の基本は、条文や学説を覚えることではなく、考えることです。
それでは。
法律論 大歓迎!
Richter ABC
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