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To: followup@kanai.ie.u-ryukyu.ac.jp
From: kono@ie.u-ryukyu.ac.jp (Shinji KONO)
Newsgroups: fj.rec.sf
Subject: Earthsea __ ゲド戦記
Organization: Information Engineering, University of the Ryukyus
Reply-to: kono@ie.u-ryukyu.ac.jp
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Date: Sat, 24 Nov 2001 18:26:42 +0900
Message-ID: < 2113.1006594002@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp> 
Sender: kono@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp

河野 真治@琉球大情報工学です。sf じゃないって言われるかもしれないけど、
僕は、sf として読んだので...

「ゲド戦記」4部作を読み返してみました。正確に言うと、読み返しとはちょ
っと違うんだよね。3部作の方は、おそらく大学生の頃に読んだのだと思うん
だけど、最後の「帰還」が出たのが 1994年で、その時に「やっぱり、最初か
ら読んで、それから読もう」と思って、今まで、放っておいたわけ。良くある
話... 結局、3日かけて、4部まで全部読みました。「ふぅっ」って感じ? 

ゲド戦記は、たまに読み返すべき話の一つでしょう。10年もたてば、細かい話
の内容なんて忘れてしまうし。逆に、読み返す気の起きなかった、ここ数年は、
実は不幸な年月だったのかも知れない。

ゲドが大魔術士であることを発見されて、自分の影と向き合い、大魔術士にな
るのが、第一部の「影との戦い」。太古の精霊の大巫女にされていたテナーが、
自ら守っていたエレス・アクベの腕輪をゲドとともに解放する話の「こわれた
腕輪」が第二部。そして、アースシーに訪れた危機を、王子とともに、世界の
果てで解決し、ハブナーの王を見つける話である第三部。そして、ゴント島で、
テナーがゲドを迎え、テハヌーを見つける話である「帰還」というが第四部
というわけです。

学生の頃に読んだ時には、図書館で読み飛ばしていた記憶があります。家内と
結婚した時に、家内が岩波の三部作を持っていたのは、結構、うれしかった。

第一部は、ゲドの成長物語なわけで、学生の時に読むのは楽しいものです。そ
れだけに、今読むと、結構、鼻に付くかな。ゲドを挑発する学生がいるわけだ
けど、学生の頃は、なんとなく、その挑発に共感できたけど、今は、その程度
で、挑発される方が馬鹿な気がする。そういう意味で、ゲドの青さみたいなの
が良くわかる感じ。友人が大きな役割を果たすわけだけど、そういう友人を
見つけるのは、難しいのは今では良くわかる。

読み返して意外だったのは、あれほど退屈に感じた第二部が非常に面白かった
こと。第三部は、やはり、王子の成長物語だし、影を追うのと、危機の原因を
追うのとが対応していて、わかりやすいんだけど、第二部は、もっと、個人的で、
時間的にも短いスケールで、女性的な話なんだよね。

なので、当時読んだ時には、大魔術士の寄り道的な話としてしか読んでなくて、
結末だけを知りたくてがんがん読み進んでいた気がする。しかし、今は、テナ
ーの人格が形成されていく様子や、伝統と自分の興味の衝突の様子、宗教勢力
と政治勢力の関係などが、すごく面白く感じました。結婚して、女性的な考え
方になれたせいもあるかも知れない。昔は、テナーがゲドを受け入れるのが何
故かさっぱりわからなかった。ゲドが(馬鹿な女の子に) 魔法をかけたのかと
か思っていたかも知れない。

今回は、テナーの持つ理解力と、女性の直観が、ゲドとの信頼を産んだのが
納得できました。

第四部は、筆者の時間がたっているのに、物語的には、第三部と重なる形で始
まります。それが、ちょうど「読み直した」感覚と重なっていて、ぴったり来
る感じ。第三部の危機を、オジオンやテナーがどのように捉えていたのかとい
うのが、少し客観的な感じで読み返したのと重なるわけだね。

三部が比較的少年向きの話であるの対して、第四部は、大人向き、むしろ、大
人の女性向きになっている気がする。ル・グィンの本音が出ているのかもしれ
ない。男性的な魔術、女性的なまじないみたいな対称があり、燃え尽きた男で
あるゲドと役割を終えた女性であるテナーの物語であり、人間の代表である王
子と竜の代表であるテハヌーの物語になっている。そして、4部作が、男、女、
男、女という対称的な話に完成していることがわかります。

テナーの主観的視点に終始する形式は第二部と重なるし、時間的に比較的短い
レンジで話が進むのも第二部と対応しています。おそらく、第二部を読み飛ば
したままで、第四部を読んでもつまらなかったに違いない。

女性として人生を一通り歩いたテナーが、さらに(テハヌーを通して) 次の人
生を模索するのは、役目が終ると閉じ籠ってしまうゲドと違った強さを感じま
す。それが、女性の本質なんでしょうね。

ちょっとだけだけど、オーソン・スコット・カードの「エンダー」のシリーズ
に近い雰囲気を感じました。あれも、燃え尽きた男と、それに関連する女性の
物語だね。

次に読み返すのがいつかはわからないけど、読み返すだけの余裕のある生き方
をしたいところですね。ゲドが、大賢者になっても、噴水の流れを読むだけの
時間を大切にするように。

---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus, 
              PRESTO, Japan Science and Technology Corporation
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科, 
           科学技術振興事業団さきがけ研究21(機能と構成)
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