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From: Ritter ABC 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: 不特定人か不特定多数人か?
Date: Sun, 08 Oct 2000 14:49:42 +0900
Organization: Nifty News Service
Lines: 133
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こんにちは。

私的使用目的でテレビ放送を録画したビデオテープを私的使用目的以外の目的
で他の人に貸与する行為が著作権法上、適法かどうかという問題について、私
のこれまでの検討結果をまとめて見ました。

これは、著作権法において「複製物の目的外使用」について規定しているのは
49条ですから、その解釈適用の問題です。

そして、49条は、「頒布」と規定しているので、設例の貸与が「頒布」に当
たるかどうかが問題であり、「頒布」について定義をしている2条1項19号
の「公衆に貸与する」と言えるかどうかが問題となります。
ですから、結局、貸す人(B)から見て、貸す相手方(A)が「公衆」に当た
るかどうかということで決まることになります。

ところで、「公衆」というのは、2条5項において「この法律にいう「公衆」
には、特定かつ多数の者を含むものとする。」と定義されているのですが、こ
の規定は、「本来の公衆」概念を前提とした上で、それに「特定かつ多数の者」
を含めることにしたものです。

そこで、「本来の公衆」という概念が問題となります。
この点については、金井重彦・小倉秀夫編著「著作権法コンメンタール」上巻
の126頁以下で小倉秀夫氏が、2条5項の解説として分かりやすくまとめら
れています。

本来の「公衆」については、次の二つの見解があります。

1. 不特定人をいうとする説(以下「不特定人説」といいます。)
2. 不特定かつ多数の者をいうとする説(以下「不特定多数人説」といいます。)

両説の差は、多数であることを要するか、それとも一人でも良いとするかです。

調べてみたところ、この点について、文化庁著作権課の担当者は、一貫して不
特定人説をとっているようです。

加戸守行氏の著作権法逐条講義の2条5項の解説は当初から不特定人説をとっ
ていますし、作花文雄氏の詳解著作権法でも不特定人説が採られています(2
03頁)。
さらに、現行著作権法の改正時点において著作権課の課長をされ、それまで7
年間にわたり改正作業を担当された佐野文一郎氏は、昭和45年12月に出版
された「新著作権法問答」において不特定人説らしい説明をされています。

上の資料を見て思い出したのですが、確か、著作権法における「公衆」概念に
ついては旧著作権法の時代から学説に争いがあったと思います。
結局、その争いに決着がつけられないまま、現行著作権法が制定されたという
のが歴史的経過でないかと思います。

そのような観点から見れば、2条5項が、本来の「公衆」概念を明らかにしな
いまま特定かつ多数の者を公衆に含めた理由が理解できます。もし、本来の
「公衆」概念に争いがなければ、その点も含めて定義をするはずです。
結局、当時の立法者は、本来の「公衆」の解釈を判例学説の発展に委ねる形で
決着を図ったのではないかと思います。

他方、著作権課自体は、本来の公衆について不特定人説を一貫して採っている
のではないかと思います。「公衆」という文言や他の法令での用い方からする
と不特定多数人説の方が自然なのに、なぜ、著作権課が不特定人説を採ってい
るのか。その理由を記載した文献は見あたらないのですが、旧著作権法の解説
の本には記載されているかもしれません。

推測すれば、これは、いろんな事例に適用した場合、不特定人としないと妥当
な結論が得られないというところから来ているのではないかと思います。例え
ば、私的使用目的で録画していたビデオテープを路上で販売したとします。そ
の場合、通行人が買ったとしても、同じビデオは複数存在しないので多数への
販売というのはないことになってしまいます(貸与の場合は、同じビデオテー
プを順次多数の者に貸すということは有り得ます。)。
もう少し、検討したいと思っていますが、著作権法が「公衆」概念を用いて規
律している趣旨から不特定人説を根拠づけることは十分可能だと思います。

さて、以上のことを前提として設例について考えてみます。

不特定人説に立つと、「公衆」とは、不特定人又は特定多数人であり、設例の
場合には、多数人ではありませんから、結局、Bから見てAが不特定人である
かどうかということで決まることになると思います。

そして、「特定」しているというために、「行為者との間に個人的な結合関係
があること」が必要であるというのが一般的な理解のようなので、そのような
結合関係があるかどうかが問題となることになります。
私は、その外に、相手の個性に着目して、「個人的結合関係に基づいて貸した」
という因果関係も要件になると思っています。

そうすると、会社の上司は、特定人となり、公衆には当たりません。

他方、ネット上での貸借については、相互に個人的な結合関係がある場合は少
ないでしょうから、ほとんどの場合は、不特定人すなわち公衆に当たることに
なると思います(ただし、ネット上でアクティブに投稿している人の間では個
人的な結合関係が生じるということは有り得ると思います。)。

他方、不特定多数人説に立つと、多数ということが要件となりますので、結論
が異なる場合があります。

会社の上司に頼まれて貸す場合には、特定の一人に貸すのですから、不特定多
数人説でも公衆には当たりません。

次に、ネット上で、Bが「希望者には貸与します。」といった投稿をした上で、
申込みをしてきたAに貸与する場合には、不特定多数の者に貸与する意図の下
に不特定人の一人に貸与したことをもって公衆に貸与したと見る余地があるで
しょう(これには、実際に多数に貸与しなければだめだという反論が有り得ま
す。その見解に立てば、多数に貸与するまでは公衆に貸与したとは言えないこ
とになります。)。

次に、Aがネット上で貸して欲しいと申込みをした場合においてBがAに貸与
したときは問題です。これも具体的状況によると思うのですが、
fj.soc.copyrightのように、たまにそのような依頼の投稿がある場合において、
貸してあげようということになったとしても、以後、さらに多数の者に貸与す
る意図があるとまでは言えないので、その場合には、公衆には当たらないこと
になると思います(実際に多数に貸与する必要があるという見解でも、公衆に
貸与したことにはなりません。)。

しかし、そのような貸与が頻繁に行われるグループで、一種の相互扶助的な状
態で貸し借りが行われることになると、初めて貸与する場合でも、以後も貸与
の意思があるということになって公衆への貸与に当たるということになる可能
性が強いと思います(実際に多数に貸与する必要があるという見解に立てば、
最初の一人の段階では公衆に貸与したとは言えないことになります。)。

以上のように、不特定人説と不特定多数人説とでは、結論が別れる場合があり
ます。

私は、以前、不特定多数人説を採った投稿をしたことがあるのですが、現在は、
正直言って、どちらを採るべきか迷っています。
その一番大きな理由は、不特定多数人説では売買の場合がうまく説明できない
ように思うからです。
旧著作権法にまで戻って少し調べてみてから考えようと思っています。

御参考にして頂ければ幸いです。

それでは。

法律論  大歓迎!

--
Ritter ABC  
 

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