No. 1080/1090 Index Prev Next
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From: "Nakagawa" 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: 不特定人か不特定多数人か?
Date: Tue, 10 Oct 2000 00:29:12 +0900
Organization: PLALA
Lines: 77
Message-ID: < 8rsnte$9ur$1@pin2.tky.plala.or.jp> 
References: < 20001008144942H_w$GVjLBoh@news.nifty.com> 
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中川@つくば です

Ritter ABC wrote in message < 20001008144942H_w$GVjLBoh@news.nifty.com> ...
> 本来の「公衆」については、次の二つの見解があります。
> 
> 1. 不特定人をいうとする説(以下「不特定人説」といいます。)
> 2. 不特定かつ多数の者をいうとする説(以下「不特定多数人説」といいます。)


不特定多数人説を採用した場合には、公衆は多数になり、
49条等も、多数に対しての行動を起こした場合を区別するものである
ということで、理解がしやすくなります。

一方、不特定人説を採用した場合には、
特定の一人に対する行動と、不特定の一人に対する行動を、
法律は、適法と違法の境目に用いたことになり、
なぜそのような規律を要求しているかを理解するのが、
私には、そう容易ではありません。

ひとつ考えられるのは、社会慣習との整合であり、
特定人への譲渡の必要性は比較的強い場合があり、
人間関係に差障りを生じさせてまで、法律を守らせる必要性が薄い、
と立法者が考えたことです。
これは立法当時、そして現在でも理解しやすい基準ですが、
多様な人間関係が存在し得る現在にあって、
このような考慮の元で不特定人と特定人を区別するのは、
大変に困難なことではないかと思います。

もうひとつ考えられるのは、複製物転用の機会を制限して、
著作権への影響を小さく押さえようとする考えかと思います。
その場合には、特定人が少数であり、
その少数の特定人の中に複製物を欲する人間がいる確率が
小さい事が前提となりますが、複製物が密接に絡む、
特定のサークル等での貸与・譲渡が適法である限り、
機会制限の実効は、貸与・譲渡先を特定少数人に限ったところで
殆どないのではないかと思います。

以上、二つほどの例について考えてみましたが、
いずれも私には、立法者が予定したほどの理由とは思えません。

> 推測すれば、これは、いろんな事例に適用した場合、不特定人としないと妥当
> な結論が得られないというところから来ているのではないかと思います。例え
> ば、私的使用目的で録画していたビデオテープを路上で販売したとします。そ
> の場合、通行人が買ったとしても、同じビデオは複数存在しないので多数への
> 販売というのはないことになってしまいます(貸与の場合は、同じビデオテー
> プを順次多数の者に貸すということは有り得ます。)。


通常、見ず知らずの人に、「貸して」「譲って」と言われたときには、
それに応じる前に、色々なことを貸す側は考えると思います。
そして、貸す側が、相手がどのような人であるかを推測していくプロセスは、
貸す側に対して、借りる側が何らかの信用を勝ち取るプロセスであり、
不特定人が特定人に転化するプロセスと殆ど同じだと思います。
一方で、販売行為の場合には、信用はまさに「金で買う」ものであり、
不特定人が不特定人のままで譲渡が完了します。

したがって、不特定人説をとった場合でも、
少なくとも無償貸与の場合には、殆どの場合において、
不特定人への貸与とはみなされないという視点が
あり得るのではないかと思います。

一方で、一つのニュースグループで、
相互扶助の精神が醸成されてきたとするならば、
それは参加者が総体として、互いに連帯感を持ったことを
意味するわけですから、参加者全体を特定人と見なすことも
可能ではないかと思います。

著作権への影響を考えた場合、
不特定少数人への貸与・贈与は、影響微小であり、
不特定多数人への組織的貸与や、
該著作物への嗜好の点で著しい共通点を持つ
特定(多数・少数)人への貸与は影響大であることを考えると、
特定少数人を許容しておきながら、
ことさらに不特定少数人を公衆に含める理由が、
私には、すんなりとは納得できません。


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