No. 570/1090 Index Prev Next
Path: ie.u-ryukyu.ac.jp!newshost.ii-okinawa.ne.jp!nf9.iij.ad.jp!nr0.iij.ad.jp!news.iij.ad.jp!yilnws!relay-yamaha-to-plala!news.plala.or.jp!not-for-mail
From: Richter ABC
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: 法30条と49条の関係
Date: Fri, 25 Aug 2000 22:49:23 +0900
Organization: PLALA
Lines: 317
Message-ID: < 20000825224923=_r_eTsNjRz@pin.tky.plala.or.jp>
References: < m3itspopaq.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp>
NNTP-Posting-Host: a010076.ap.plala.or.jp
Mime-Version: 1.0
Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP
Content-Transfer-Encoding: 7bit
X-Trace: pin2.tky.plala.or.jp 967211366 11077 210.153.10.76 (25 Aug 2000 13:49:26 GMT)
X-Complaints-To: abuse@plala.or.jp
NNTP-Posting-Date: 25 Aug 2000 13:49:26 GMT
X-Newsreader: EdMax Ver2.74
In-Reply-To: < m3itspopaq.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp>
Xref: ie.u-ryukyu.ac.jp fj.soc.copyright:11568
こんにちは。
Hideaki Iwata さん wrote:
> 30条から50条は、一般に著作権の制限事項として知られています。
> この項目に合致する場合は、それ以前に定められた著作権が制限
> される、と考えるのが一般的です。
>
> だからこそ、「第二章 著作者の権利」は次の様な構造になって
> います。
>
> 第一節 著作物(第十条−第十三条)
> 第二節 著作者(第十四条−第十六条)
> 第三節 権利の内容
> 第一款 総則(第十七条)
> 第二款 著作者人格権(第十八条−第二十条)
> 第三款 著作権に含まれる権利の種類(第二十一条−第二十八条)
> 第四款 映画の著作物の著作権の帰属(第二十九条)
> 第五款 著作権の制限(第三十条−第五十条)
>
> # 半田先生は著書の中で第五款を「著作権の公的限界」と称さ
> # れていますけどね。
↑
(私も、昔、その本の第1版が出たころ、興味を持って読んだことがあるので、
知っています。懐かしい本です。)
しかし、それは、半田先生が法律と立法技術、さらには、外国の著作権に関す
る法令、学説等を十分理解されていたからでしょう。
権利の内容を規定する場合に御指摘のような規定の仕方をするのは通常であっ
て、著作者に21条により認められている複製権というのは、第5節の制限を
伴っているものであるということは明らかです。
換言すれば、著作者は、元々第5節のような制限を受けない複製権を持ってい
るのだが、第5節でその制限をしたという意味は、法律上はないのです。制限
という言葉を使用していてもです。
法は、価値中立的に、著作者に権利として与えるべき部分と一般国民の自由に
委ねるべき部分とを書き分けているのです。
ですから、先に述べたように
> > つまり、著作者が専有する複製権は、元々、30条の適用を受ける複製行為に
> > は及ばないのです。
ということになります。
> > 他方、49条1項は、複製行為に該当しない頒布(公衆への譲渡又は貸与)及
> > び公衆への提示について、上記のように認められている著作者の複製権を実質
> > 的に保障するために特に複製とみなすことにしている規定です。
>
> 違います。第四十九条では「次に掲げる者は、第二十一条の複製を
> 行つたものとみなす。」と明確に書かれています。
>
> 一 第三十条第一項、第三十一条第一号、第三十五条、第三十七条第二項、
> 第四十一条、第四十二条又は第四十四条第一項若しくは第二項に定める
> 目的以外の目的のために、これらの規定の適用を受けて作成された著作
> 物の複製物を頒布し、又は当該複製物によつて当該著作物を公衆に提示
> した者
>
> つまり、第三十条第一項に定められた目的(つまりは私的使用目的)以外
> の目的の*ため*に、もともとは30条に則って複製された複製物を頒布し
> たり公衆に提示したりする者は、複製権を侵害したとみなす訳です。
> 従って、仮に使用目以外に使用したとして、その際は私的使用目的の複製
> 行為そのものを違法とするのではなく、複製物を目的使用以外に使用した
> 行為そのものが、複製権の侵害に該当する、と定めているだけです。
↑
「複製権の侵害に該当する」という表現は少し気になりますが、
私は、正に、そのように述べているのです。
> 次に、貴殿の説明の不適切な部分を指摘しておきます。
> 「複製」と「頒布」は、法においては全く異なる概念として定義されて
> います。
<中略>
> にも関わらず貴殿は「複製行為に該当しない頒布(公衆への譲渡又は
> 貸与)及び公衆への提示」という表現を用いています。
> この点はおかしいと言わざる得ません。
↑
何がおかしいのか理解できません。
御指摘のように「複製」と「頒布」とは法上明らかに別概念です。
そして、「頒布」「展示」は、「複製」ではありません。そこで、「頒布」又
は「展示」しかしていないけれども「複製」をしたものと「みなす」という規
定になるのです。
「みなす」とは、「ある事物と性質を異にする他の事物を、一定の法律関係に
つき、その事物と同一視して、そのある事物について生ずる法律効果をその他
の事物について生じさせることをいう」(林修三外編「法令用語辞典第6次改
訂版649頁)。
そこで、私は、49条により、本来複製行為には当たらない頒布(公衆への譲
渡又は貸与)及び公衆への提示行為が複製とみなされる結果、それらの行為を
許諾を得ないで行えば、複製権の侵害になるといっているのです。(その結果、
みなされた複製行為は、頒布又は提示がされた時点でされたことになります。)
そこで、私は、前に次のように述べたのです。
> > 複製とみなされるのは上記の頒布又は提示行為です。頒布又は提示された複製
> > 物が遡って違法に複製された物になるのではありません。もちろん、30条に
> > よって適法に行われた複製行為が遡って違法な複製行為になるものでもありま
> > せん。
> 30条で規定された目的(私的使用目的)以外に使用された複製物を頒布
> あるいは公衆に提示した*者*は、著作者が専有するはずの複製権を侵
> 害していることになります。
>
> 従って、複製者と頒布者が異なっている場合は、頒布者が権利侵害者に
> なる訳です。例えば、兄が私的使用目的にダビングしたMDを、弟が兄に
> 勝手に頒布した場合、弟の行為が複製権侵害に当たる訳です。
↑
これは、そのとおりですね。
> 仮に弟の頒布行為に兄が許諾を与えていたとしたら、兄も複製権を侵害
> したことになるでしょう。
↑
許諾を与えただけでは、普通、頒布又は展示したことにはならないので49条
により直接複製をしたものとはみなされないでしょう。
しかし、不法行為になることはありえます(民法719条)。
> しかし、兄が私的使用目的にダビングしたMDを兄と一緒に弟が聞く分に
> は、これは私的使用目的の範囲内ですから、30条により著作者の複製権
> を侵害する行為には当たらない訳です。
↑
これもそのとおりですね。
> 理解して欲しいのは、複製行為の先には、「複製物の利用」という当然
> の帰着がある、ということです(使用と利用を使い分けている点に注意)。
↑
私的使用を目的として複製している以上、通常、複製後に「著作物の使用」はあ
ると思いますが、「著作物の利用」が常にあるとは言えません。録画したビデオ
を自分で見るのは「著作物の使用」ですが、その上に別の番組を録画するという
ことは通常のことですから、必ず「著作物の利用」を伴うとは言えません。
それとも、「複製物」の使用、利用という語に何か特別の意味を与えて
いますか ?
「複製物」というのは、例えばビデオで言えば、テレビ放映された著作物を複製
して磁気的に記録しているビデオカセット(正確にはテープの部分のみか?)の
ことのはずですが(だからこそ、複製物の「譲渡」ということが問題となるので
す。)。
著作権法上、「利用」「使用」の区別をしているのは、「著作物」ですが(63
条)。。。
> 30条に基づく複製でありかつ、私的使用目的の範囲内であれば、その複
> 製物をどう利用しても当人の勝手です。しかし、30条は「その使用する
> 者が複製することができる」と定めています。30条に規定された著作者
> が専有する複製権が制限される必要条件の一つは、使用者と複製者が同
> じ、なのです。
↑
多少意味があいまいな点がありますが、これもそのとおりだと思います。
しかし、これも目的的行為です。
つまり、自分で後で見るつもりなら自分で録画することが適法要件であると
いうことですね。録画の時点での行為者の主観(目的)を前提としています。
> # 単なるコレクターであり、壁に並べるだけでも十分に立派な「複製
> # 物の利用方法」になる訳です。私みたいなコレクターは、手元にある
> # というだけで満足感を得る訳ですから(^_^;;)
↑
これは、複製物の使用ではないのですか?
もちろん、「著作物」の使用ではありませんが。。。
> で、仮に、複製者がゴミ箱に捨てた複製物を第三者が拾って頒布したと
> しましょう。すると、この頒布者が複製権を侵害した訳であって、実際
> に複製を行なった者は(管理責任は別にして)複製権侵害に問われるこ
> とはないでしょう(民事上は、管理不十分として何らかの損害賠償を請
> 求される可能性は否定できないけど)。
↑
大体、そのとおりだと思います。
> しかし、30条の定める私的使用目的以外にその複製物を頒布あるいは
> 公衆に提示した場合は、頒布あるいは公衆に提示した者をもって、複製
> 権侵害と定めているのが49条です。
↑
そのとおりです。
> その上で、私的使用の定義を思い出すと、「個人的に又は家庭内その他
> これに準ずる限られた範囲内において使用すること」となります。
↑
これもそのとおりです。
> 最後にまとめます。
> まず第一に、30条における「私的使用目的」の中には、公衆への提示も
> 頒布も含まれていません。「家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」
> と「公衆」という二つの集合に共通する要素が存在すると考えることは
> まず不可能です。
↑
多少表現が曖昧ですが、善解すればそのとおりだと思います。
> 次に、30条は私的使用目的以外の使用者自身による複製行為を権利の
> 制限とは認めていません。従って、「私的使用目的以外の利用者自身
> による複製行為」は、その時点で著作者の複製権を侵害しています。
↑
これもそのとおりですね。
> 第三に、複製物を当初は私的使用に合致して使用者自身が使用していた
> が、ある時で私的使用の範囲を超えた使用を使用者本人が行なったとし
> ます。
> この際、複製行為自体が権利侵害かどうかの判断は難しいですが、
↑
全く難しくありません。30条により適法に行われた複製行為が遡って違法に
なることはありません。どうして遡って違法となるのですか。
> 少なくとも、30条により作成された複製物は、「使用者本人が私的使用
> を目的とした場合に限り」複製が許された物な訳ですから、目的外使用
> と言わざる得ません。
↑
これはそのとおりです。
だからといって、直ちに下記のようにはなりません。
論理の大きな飛躍があります。
↓
> 頒布や公衆に提示しなかったとしても、複製権を
> 侵害したと言わざる得ません。
> 例えば、複製者が家庭内その他これに準ずる限られた範囲外にその複製
> 物を譲渡する(有償無償を問わず)ことは、それが公衆に合致しなかっ
> たとしても、許されません。
↑
目的外使用であれば、直ちに権利侵害となるという条文はどこにもありません。
しかも、49条は、目的外使用の中で特に権利侵害となるものを規定している
わけですから、そこから除かれているものは、目的外使用でも侵害とはならな
いことを規定しているとも言えるのです。
> また、119条自身によって刑事罰規定は適用されませんが、権利(複製権)
> を侵害していることは間違いありませんから、民事上の損害賠償を求め
> られる可能性は常に存在します。
>
> 繰り返しますが、30条は私的使用目的に限って使用者自身が複製しても
> 権利侵害には当たりません、と定めているに過ぎません。
> つまりは、その複製物を使用者以外が使用したり、私的使用目的以外に
> 使用した場合には言及していません。従って、それら状況に基づく複製
> 権は、著作者が専有します。著作者の許諾なしに複製すると、その時点
> で権利侵害に当たります。
↑
上記の部分は、全く論理的ではないし、それより先の説明から導き出されるも
のではありません。したがって、法律解釈とはいえません。
初めの部分は、非常に論理的なのに、ここに来るとどうしてこんなに非論理的
になるのか不思議です。
きっと、結論が先行しているからでしょうね。
> 第四に、もともとは30条により作成された複製物が何者か(含む複製者)
> により頒布あるいは公衆に提示されたとします。その時点で、49条に基
> づく「目的外使用」に相当しますから、頒布者あるいは提示者が複製権
> を侵害したことになります。
↑
これは、そのとおりですね。
> > 特に、49条は、113条を介して犯罪構成要件ともなるのです。その規定を
> > むやみに拡張解釈したり、法が特に定めている「公衆」の意義を無視した解釈
> > をすることは許されません。
>
> しかし、法は条文によって「公衆」を定義していないんですよね。
> 単に「特定かつ多数も公衆に含む」と述べているだけであって、特定少数
> や不特定少数のどれだけが公衆に含まれるのか、までは規定していないん
> です。
↑
確かにそのとおりです。しかし、「公衆」という法概念は、いろんな法律
で使用されており、不特定多数の意味で使用されています。その「公」
「衆」という文字自体からも首肯できるでしょう。
著作権の制定時には、当然、そのことが前提とされており、後は、法解釈
に委ねられたのでしょう。
特別な意味で用いるのであれば、そのような意味に用いる合理性・妥当性
を論証すべきです。
> > なお、私は、著作権のような新しい法分野では、複写等の技術の進歩や社会状
> > 況の変化によって立法当初の法律あるいは法律解釈では著作者の利益が十分守
> > れない状況が生じるということは十分認識しています。
> > そして、それを解釈で補うべき場合があることも知っています。
>
> 個人的には、解釈論で議論できる範囲を超えていると認識しています。
> 繰り返しますが、無体財産であり、かつ技術の進歩が激しい分野ですから、
> その技術の進歩に合わせた有機的で迅速な法の改正をすることこそが、
> 主権者である我々国民の責務だと考えている訳です。
>
> # 著作権の場合、著作者人格権ってのもあって非常にやっかいですから
> # ね。特に無方式主義に則れば、著作者の権利を如何に上手に守って、
> # かつ公正な利用ルールを確立するか?ってのは大問題ですよね。
>
> > この部分は、趣旨を理解しかねます。「整合」というのをどのような意味で使
> > 用されているのでしょうか?
>
> これまでの説明で御理解頂けましたでしょうか?
↑
いわんとする結論は分かりましたが、法律解釈論として理由付けができて
いるとは到底思えません。
> > 法律解釈は、技術の進歩をも踏まえて適性にされる必要がありますが、
> > 技術の進歩に合わせて法律の内容まで自動的に変わることはありません。
>
> そうですね。
>
> > 必要があれば、法改正をすべきなのです。
>
> だからこそ、我々主権者はこの問題に関する関心を高め、もっと知識を
> 付けて大いに議論すべきだ、ってのが私の主義です。
↑
この点は、私も大賛成です。だからこそ、最初に敬意を表する旨述べたのです。
しかし、無理な法解釈を主張しても採用されることはありません。
むしろ、冷静かつ論理的に法解釈を行った上で、妥当でない部分は立法的に解
決すべきであると声を大きくして主張すべきなのです。
著作権を尊重すべきであるという立場の人が無理な解釈を主張すると、かえっ
て反対意見の人に反発され、著作権自体に対する反発まで招きかねません。
また、誤った解釈がネット上に蔓延して混乱が生じ、あちこちで、無用な論争
が生じてしまいます。
私は、元々、ネット上では、法律に関して発言をしたくなかったのですが、匿
名で敢えて発言しているのはそのような現状を憂えたためです。
法律論 大歓迎!
Richter ABC
Next
Continue < 39A9E058.6AE63BF3@af.wakwak.com>