論文は読んでる人が再現できなければ書き足りていない

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今日は修論の予備審査*3な一日で終了。審査そのものの時間は午後だけで終わってますが、昨日も書いた学生成績の件で学務から連絡届いてそれの対応とかしてるうちに午前中が終わってしまったという。その意味で午前中は実りの少ない時間だったか。指導する時間は必要なので避けられないコストではあるのだけど。

今回修論審査したのは7件で、一部の学生は「これ読んだ第三者が再現できるように書いてる?」という部分がちらほら。そういうのをあぶり出すために最終審査の前に予備があるという話なのかもしれませんが、主査担当の学生がそういう状態だと「予備審査は半年後に。。」と言いたくなるよな。指導しきれなかったという意味で。

必ずしもページ数が多い方が良いわけではなく、やったことを十分書けてるなら薄い論文でも問題無いです。そうじゃなくて「そもそも十分書けていない(再現できない)から薄い論文に仕上がっている」のだと大問題。やったことを書けば良いだけで、卒論だけでなく数回の学会発表での予稿とかでも「成果をまとめる(その過程を通して指導されている)」ということはやってるはずなんですが、例年何人かはそういう学生がいます。しくしく。

2年次の学生実験レポートでもそういう学生(何も説明無しにいきなり考察するとか、どう取り組んだ実験か説明無しに結果並べるとか)はいるので、見つける度に指摘しているのだけど、やっぱり漏れはいるらしい。大学のシステムとしては「評価基準換算で100点満点にした結果で評価をつける」になるので、「全体としては6割越えてる」なら単位はでちゃうんだよな。最低条件として要件を設計することも可能だけど、そうすると「最低条件しかクリアしない(他で手を抜く)」だけだし。

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夕飯は先日イマイチだったカレー焼きそば(カレー粉)を、クミン加えて炒め直したら劇的な変貌を果たしてくれました。クミン先生に感謝。