優先順位を付けられない状況

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私自身も含めての話。

[ 情報BOX:大阪で震度6弱の地震:主な企業への影響 ]

インフラ含めて早く復旧すると良いですが、Twitter眺めてると結構な被害が出ているようで。

地震そのものの被害や、その後に発生した被害。諸々含めて「ゼロイチの世界じゃない」ので、何某か色んな条件が重なって大した影響がなかった人(や組織・建造物・インフラ、、、)もいれば、かなりの被害を被った人もいるでしょう。「震度6だから」という話でもないですが、ある程度以上の「これは一個人ではどうにもならんな」という状況で、インフラ等の緊急を要する業務ならともかく、そうでないタスクを優先して行動する(取り敢えず通勤するとか)というのは社会として脆いなと感じます。

別の見方をすると、「そのタスクは自分の命をかけてまでやる価値があるのか」でしょうか。何も考えず、粛々と上司の判断に従うというのは楽ですが、そのような過ごし方をしてると「生きる力」自体が弱くなりそうな印象があります。あくまでも主観的印象であって、個人的な解釈に過ぎませんが。

その一方では「そのような判断をする余裕がない」ケースも少なくないのかもしれません(妄想)。例えば、貯蓄がないので首になったらそれだけで翌週の食事の心配をしないといけないとか。そのような人や家庭(相対的貧困)が増え続けている社会であることを踏まえると、余裕がない人が多いのだろうと。

似たような話で、余裕がない状況だと、身の回りの様々なことを理不尽に捉え、不寛容さが増すでしょう。「ちゃんと判断しろ」では解決できなくて、そういう判断をするゆとりが必要です。そのためにも、余裕のある人は「まずは自分の幸せを優先し、余裕のある範囲でそれを周りの幸せに」考えて行動するとベターだとは思いますが、もう少し社会システムとしてどうにかならないものかなぁ。

P.S.
公文書偽造も討論すり替えも諸々今の政権の酷さには呆れますが、こういう政権に辿り着いた過去を振り返れば様々な要因があったわけで、その中には私みたいな一介のおじさんの影響もあって。ま、社会ってのは難しいなぁ、というお話。(そうなのか)