プログラミングというよりプログラミング的思考

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サマリ:単に「手書き嫌い(終了)」という話。

先週まで教育組織改革アンケート調査なるものを実施してました。民間企業(主に沖縄県工業連合会経由で周知依頼してた模様)へもお願いして回ってたようですが、紙媒体で帰ってきたのは半ば無理矢理実施した分のみ。手書きだと回答する方も面倒だし、集計する方も勿論面倒。分かりきってることなのに手書きを実施して、その解読やら電子化やらの追加コストを押し付けられて。

別例では、とある正式文書の手書きを求められたり。一体全体誰が得するのだろう? 署名とか部分的に自署が必要なケースというのは理解できます。だけど自署+押印とか意味分からない。就職活動での応募書類の手書きに拘ってる人種もまだいるようですが、やっぱり理解できない。無駄に罫線やら様式やら決めたがる人って何なの? それを決めることで双方に余計なコストがかかってたら「仕事増やしてるだけ」だよね。「文書作成=Office系アプリ」という思考自体がおかしい、ということに気づいてない。沖縄県も「コールセンター」をITに分類してたりするし。IT立国凄いです(棒読み)。

一方で私自身の責任の範疇で「手書き」を要求してるケースはあります。主に用紙上で作業することに意味があるケースと、自己評価関連かな。前者は真っ当な理由があるから良いとして、自己評価の方はどちらかというと「明示的な記録には残したくない」と思ってやってることが多いかも。でも効率化(無駄の省略)は必要だよね、ということで中途半端になってるケースもあるな。これはこれでどうにかしないと。