事務との戦い?誰にとって幸せなルールなのか
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— Naruaki TOMA (@naltoma) March 2, 2016
事務にも色々種類というか段階とでもいうものがあって、大雑把には「学科の事務->学部の事務->本部の事務」ぐらいの3段階を経て何かしらチェックされます。それはそれで良いんですが、システマチックじゃなくて「個々人の主観」で判断されることがあって、割と腹立たしい(意味や意図が理解できない)対応させられることがママあります。
一番身近な学科事務はどちらかというと「その後の学部or本部から苦情が出た」ということを伝える立場であることが多いかな。そういう意味では「一番身近な学科事務も理由が良くわからないけど**から修正するよう指導された」という立場になりやすいか。理由がわからないというのが謎ですが、そういうものらしいです。誰も嬉しくないよねそれ。ということでたまに(肉体的・精神的に付き合う気持ちがある時に)何故ダメなのかを尋ねるなりして戦いが始まります。
今回の問題は「(A)学会の参加費は出せない」「(B)学部生は本来研究発表してはいけない、させるなら*帯同(≒引率)*が必要」というもの。参加費については(1)物品購入扱い相当らしく、(2)その購入届け出がもう締め切られてるからダメだし、(3)そうでないとしても(学生個々人で支払ってるのですが)事前に許可をもらう必要がある、という理屈でダメという判断らしい。ちなみに学会出張旅費は今でも申請はOKで、こちらには文句言われてません。だけど参加費は別ってどこの誰の理屈? 研究も出張もするなという指導にしか聞こえないんだけど。
もう一つの「(B)学部生は本来研究発表してはいけない、させるなら*帯同(≒引率)*が必要」も意味不明。研究活動を通した教育なのに教育するなってこと?年齢もとっくに成人してるのに帯同必須というのは何故? 全くもって意味不明です。やっぱり仕事(研究も教育も)するなという指導にしか聞こえないんだけど。
事務に限った話じゃないけど「仕事をスムーズにするための工夫」なら喜んで協力するし、そのための努力は惜しみません。だけど真逆にしか見えない努力を強制させられることには納得いかないです。当たり前だと思うのだけど、世の中(?)そうじゃないらしい。学生への連絡も「本部->学部->各教員->学生」みたいな伝言ゲームになってるのとか、一体全体昭和な仕事ぶりをいつまで続けるつもりなんだろう? 仕事のための仕事を作ってる暇は本来ないはずだよね? とか思うんですが、「学科外の学内(学部とか全学とか)」レベルで仕事しようとするとあまりのスピード感の無さに頭痛がします。
ということで元気があるときには少しでも前進するように戦います。鵜呑みにするばかりだと何も変わらないし。