No. 1007/1090 Index Prev Next
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From: Hideaki Iwata 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: Re[2]: Re: 30条と49条 (罰則関係 	)
Date: 03 Oct 2000 14:54:00 +0900
Organization: Center for Information Science, Wakayama University
Lines: 137
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ひで@和大、です。
なんか、やっと合意点が見つかった気がする。

Ritter ABC  writes:
>  こんにちは。

>  審議会も私も、そして半田先生も全く変ではありません。この点では、意見は
>  一致していると思います。

そうですよ。一致してますよ。

>  変なのは、岩田さんの理解の方です。

違うってば。

>  複写技術、経済情勢等の変化により、それまで一般利用者の自由利用とされ、
>  著作者の複製権の及んでいなかった部分について、著作者の利益を保護した方
>  が文化の発展に寄与する(法1条)と考えられる場合には、そのように法改正
>  をしてもなんら不思議はありません。

そうです。法律を改正することにより、従来の条文では著作者の権利が
制限されていた部分を、著作者の権利として認めることは、その法律が
適正な手続きを経て公布された以上は、何らおかしくありません。

>  一般利用者がそれまで私的使用目的によ
>  り無償で利用できていた部分について著作者が新たに補償金を受け取れるよう
>  にしたのは、その一方法であって、何も、著作者がその点について「本来」何
>  らかの権利を有していたからではありません。

だから、「本来」って言うからおかしいんだってば。
著作権制度はその時の社会情勢によって変化するものだ、って前提があ
れば、「本来」が実は「本来」ではなかった可能性だって考慮する必要
があるでしょう?ってのが私の主張。

# 当時はそれが「本来」だと思い込んでいたけど、実際は「本来」じゃ
# なくて、だから現在の枠組が存在しているんだ、って考えも成立する
# 訳でしょう?

だから私はずっと「著作者の権利が法により制限されている」と表現し
ているのです。
その制限が、「本質的に著作者の権利に含まれないもの」なのか、ある
いは「著作者が有する権利の行使が法により制限されているもの」なのか?
はたまた別の形態なのか?を議論すること自体が、ナンセンスだ、と言
い続けているんです。

# ちなみに、「権利の行使が制限」って言い方は、私の記憶する範囲で
# は、今、この記事で初めて使ってます。私は一度だって「権利の行使が
# 制限」とは言ってません。常に、意識して「権利が制限」と言い続けて
# います。

法により、著作者の権利が制限されていることは紛れもない事実なんだ
から。つまり、著作権の枠外に定められていることは、誰も反対してな
いでしょう?

制限がいずれであるのか、を議論することは、無体物である上に一種の
工業所有権的性質を持ってしまったわが国の著作権においては、あまり
意味がない、って言っているんです。

# 工業所有権的性質を持ったこと自体が間違いだ、ってのが私の主張
# だけど、これは立法論だから今は関係ない。

「30条に示された3要件に合致して複製行為に至った場合、それが
著作者の許諾なしに行なわれたとしても、不法行為には当たらない」

って表現は、ほとんど全ての解説書で行なわれていますよね。
それでいいじゃないですか?と言っているだけ。別に間違っている
訳じゃない。

>  30条2項を設けたから補償金を受け取ることができるのです。

だからね、立法趣旨ってことばを持ち出して、「制限とは本来、著作者
が有しない権利を意味するんだ」って言っちゃえば、後々ややこしい
でしょう?って言っているんですよ。

昭和45年の時点で「権利の枠外」であった事象が、現代では「権利の枠
内」となっている事実が多々存在しますよね。「本来」枠外だったもの
を枠内にしたのはケシカラン、って議論が出ないためにも、解釈論にお
いては「権利の制限」は「権利の制限」でとどめておけばいい、そう
主張しているに過ぎない。中には「権利の濫用」なんて言い出す人も
いるんだからさあ。条文に書いてあっても「権利の濫用だ」って言う
人が、現実に存在しているんだから。

# なぜ「補償」って言葉を使うに至ったか、を考察すれば、ある種、
# 「権利の行使を法が制限している」部分を認めたからじゃないの?
# って議論になるだけ。

その性質を議論するのは別にやりましょう。ただし、それは本質的(本
来的)な性質を意味するのではなく、その時の社会情勢(条文)に基づ
く性質付けであって、未来永劫を左右する性質を意味するものではない、
って主張しているんですよ。

結局、「権利の制限」の性質は本質的なものではなく、人間がそう判断
したに過ぎないだけで、それは可変なものなんだ、って言っているだけ。

それを「本来」って言葉を使うからおかしくなるんだってば。

でね、「本来はこうだったから、その精神を尊重して現在の法解釈にも
適用しろ!」って言い出す人を私は恐れている訳。

「本来はそうだったのかも知れないが、著作権制度自体が変革しており、
国民議論の中で現在は別の枠組を提供しているんだ」

ってのが現実でしょう?それをABC氏も認める訳でしょう?
だったら、「権利の制限」は「権利の制限」にとどめましょうよ。

「本来」ってのは、解釈論に限っては止めませんか?って言っている
だけなんだけどなあ...........................

わたしゃあ、首尾一貫して「権利の制限」って言い続けているはずな
んだけどなあ。それがおかしい、って言うから、おかしくなる訳で..........

「権利の制限」はそれ以上でも以下でもない。法により著作者の権利
の枠外に置かれているに過ぎない訳で........

で、なんでこれが問題になるか、と言えば、ABC氏は

「本来、私的領域における複製行為は著作者の権利の枠外に置かれ
ている。私的領域と社会的に求め得る要件を30条は定義しているが、
本来的に枠外である以上、私的使用目的に複製した著作物の事後
使用に関しては、49条が適用できない事例に対しては、法は著作者
の権利が及ばないとしている」

と主張しているのに対し、私は、

「30条が示す私的領域における複製要件は、事後の使用においても
私的使用に限定している」

という審議会報告説を提示しているに過ぎない。
枠組は不変のものでもなく、もちろん、本来的なものでもないとす
るなら、少なくとも、ABC氏説に対する「本来」って部分は無効で
ある、って言っているに過ぎないんだけどなあ.........

# それ以外のABC説に対しては、ある一定の理解を示していることは
# 何度も表明しているんだけど..........小倉さんもほぼ同案なん
# ですよね、確か。

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