No. 1015/1090 Index Prev Next
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From: Hideaki Iwata 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: Re[2]: Re[2]: Re: 30条と49条 (罰則関係 	)
Date: 03 Oct 2000 23:54:22 +0900
Organization: Center for Information Science, Wakayama University
Lines: 334
Message-ID: < m3aecmynz5.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp> 
References: < m3n1gmzczr.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp>  < 20001003213944EutF$BxMwaI@news.nifty.com> 
NNTP-Posting-Host: dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp
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Xref: ie.u-ryukyu.ac.jp fj.soc.copyright:12021


ひで@和大、です。
長い。でも多分、判ってもらえないんだろうなあ....主義者には。

Ritter ABC  writes:
>  うーん。最初と比べると、岩田さんのお考えも大分変わったようには思うんで
>  すが。。。

変わってないですよ。
証拠を示しましょうか?

---------------------------
  法はその目的を「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等
の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与すること」(1条)と
する一方、「公正な利用」の一側面として30条から50条の「著作権の
制限」に関する詳細な規定を設けている。
  従来、「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内に
おいて使用する」(以下「私的使用」)場合には、使用者自らが著作
物を複製する場合に限って複製権の侵害には当たらないとしてきた(
30条1項)。

これは今年の1月に発行された和歌山大学経済学会発行、「経済理論」
に掲載した私の論文の一節です。執筆時期は昨年の9月末日ですけど。
これが私の基本姿勢です。

>  どこかの条文で「著作者の権利が制限」という語が用いられていますか?
>  また、田村先生の本で用いられていますか?
>  法は、「著作権の制限」という語を使用しているでしょう(第5款)。

まあ、正確には「著作者等」と言うべきでしょうね。
著作権(含む著作者隣接権)の所有者として、人間(場合によっては法
人)のみが認められる現状では、著作権は「著作者等」に発生する訳で
すから、「著作権の制限」は「著作者等の権利の制限」と言うのが正し
いでしょう。そういう意味では、私の表現は間違い。

>  この議論は、岩田さんの「本来」という発言から始まっているのですよ。
>  
>  以下のとおりです。
>  
> Message-ID: < m3hf7a2vvs.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp> 
>  >  佐々木氏以下が何度もおっしゃってますが、30条はあくまでも著作者の
>  >  権利を制限している条項に過ぎません。本来著作者が専有する複製権を、
>  >  ある状況下では制限しましょう、と、人為的に定めているに過ぎません。

ふむふむ。
確かに「本来」は私が使ってますね。

> Message-ID: < 39CC2BCB.9CBE4E5E@af.wakwak.com> 
>  >  本来著作者が有する権利ではあるが、一定の要件を満たした場合は制限される、と定
>  >  めたものなのだ、と説明しています。

これは正確には間違いですね。そういったケースとは別に、著作者等が
有する権利には含まれないと考えられるケースも存在する、ってのが
正解ですね。

> Message-ID: < m3u2b21jog.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp> 
>  >  本来著作者の権利に含まれていないはずの「私的使用のための複製行為」
>  >  に対し、デジタル方式の記録媒体に限って「補償金」という制度が導入さ
>  >  れた理由はどこにあるのか、を。

これを例に持ち出しちゃあ駄目でしょう。
ABC氏の論理に従えば、「本来著作者の権利に含まれていないはず」
ってただし書きが前についている訳で。

# これまで「例」に持ちだすとなると、ABC氏自身も、私の考えを正しく
# 理解してない気がする。憎さ余って、かな?

>  岩田さんは、「著作権の制限」に関する解説書等の記述(それは私が述べてい
>  ることと同じことです。)を、著作者は「本来」完全な権利を有しているのだ
>  が、法の定める一定の要件を備える場合には、それが制限されるという誤解を
>  し、その誤解が、49条の要件を充たしていない場合でも、30条の私的使用
>  目的で複製された複製物の目的外使用(貸与、譲渡等)は複製権(著作権)を
>  侵害するという結論と結びついているのだと思います。

違います。少なくとも解釈論においては、その様には判断してません。
第一、「完全な権利」そのものも「人工的」なものに過ぎません。
しかし、条文の構図上、21条で著作者はその複製権を専有した上で、
30条以下で(著作権の一部を形成している)その複製権を「制限」し
ていることは紛れもない事実です。
それは「誤解」でも何でもありません。

それをどう解釈するか、って部分で、「べき」論を持ち出すこと自体を
私は批判しているだけ。
その意図するところまで論じてはいない。一度として、意図を表明した
ことがありますか?

ましてや、その「べき」論を信じなければ法律的議論ができない、と
言うから、それは間違いだ、と指摘しているだけ。
実際、ABC氏は認められないらしいけど、コンメでは30条は両方の性質を
持っている、って述べている訳で。

>  はっきり意識はされていないかもしれませんが。。。

いやだから、私は昭和56年の著作権審議会報告を紹介しているだけだって
ば。もちろん、「本来」「完全な権利を有している」かどうかについて
は言及してません。しかし、30条に限って言えば、「私的使用目的に
限って複製権を制限しているのであって、その複製物の事後転用は他の
制限事項に合致しない限り、著作権者に無断で行なうことは違法である」
と述べているのは事実でしょう?

30条を素直に読む限り、この解釈も当然成り立つ。成り立たないと考える
原因は、ABC氏の信ずる「べき」論だ、って言っているだけ。

私は、この件については「著作権報告がそう述べている」という事実
提示に留まっているはずです。その理由まで述べた覚えはない。

もちろん、それが間違いだ、と指摘するABC氏は、なぜそう考えるのか、
の理由を説明するところで、先の「べき」論を持ち出している訳だけど。

>  私は、岩田さんが使ったとは述べていません。
>  「権利の制限」という意味を理解していただくために便宜上対置させたもので
>  す。

この点は了解。

>  私は、そのようなことは言っていません。
>  著作者は、著作物を創作することによって著作権を取得するが、その権利は、
>  取得の時点から30条以下の制限付きの権利であると述べているだけです。

はい。これで納得。これを合意としましょう。
私も、著作権の目的となる著作物が発生した時点から、30条以下の制限も
適用される、と認識しています。時間的、空間的距離は一切存在しません。
私が一度として、そんなことを言ったことがありますか?

私が言ったのは、「私的使用目的に限り、利用者は権利者に無断で複製
することができる」以上は、複製物に対する一種の管理責任を利用者に
求めている様にも読めますよ、ってだけ。

>  つまり、制限されている範囲では、著作者は、最初から権利を有していないと
>  述べているのです。

その理由は知りませんよ。少なくとも、著作者の権利の枠外であることは
紛れもない事実です。で、そうじゃない、なんてことを言ったことがあり
ますか?
なぜ権利を有していないか、って部分では、色々な利害関係が発生する
から、主義によって様々でしょうね。ただ、その利害そのものが、著作権
制度の整備に影響を与える以上、主義も利害も包括して考慮する必要が
あるよ、って言っているだけ。

>  これに対し、岩田さんは、その制限されている範囲も、本来は著作者が権利と
>  して有していると誤解していると述べているのです。

だから、そんなことはしてません、ってば。また、ある主義に則れば
それは「誤解」ではなく真実となります。実際に法によってのみ制限
されている訳ですから。そういった主義の存在自体を認めないって姿
勢を私は避難しているだけであって、その主義を信じている訳ではない。
仮に存在するとするなら、それはそれで仕方ない訳なんだから。
ましてやわが国の著作権行政に何らかの影響を与えていると仮定したら、
その主義を無視することの方がおかしいでしょう?

その「誤解」を抱いたのはABC氏自身です。その点にはABC氏自身に責任が
あります。「べき」論を押しつけようとしている訳ですから。

私の理解とは別ですが、そういった考えを「誤解」と言い、それが誤解
であるとすることが法律学だ、ってする部分を「それもある主義に過ぎ
ないでしょう」と非難しているだけ。

# って何度言っても判ってもらえないみたいだけど。
# 著作権に関して言えば、我々主権者一人一人が実は利害関係者なんだ
# もん。そういった立場を忘れて「べき」論を展開したって無意味。

>  それを最初に使ったのは、岩田さんですよ。

その自覚はなかったけど、そうだとしたら陳謝します。
その上で、「権利の制限」の要件自体が、時の社会情勢によって変化す
るのは当然だし、また、現実にそうなっている、って部分は合意頂けま
すよね。決して、純粋なある法律的主義に従ってのみ変化している訳で
はないことに合意して頂けますよね。

>  私は、「本来」とか「本来的」とか言った言葉を用いて、上の点を説明してい
>  ません。

ふむふむ。

>  私の基本的態度は、法は、21条から28条までの規定と30条から49条ま
>  での規定により、価値中立的に、一般利用者の自由利用に残すべき部分と著作
>  者の権利とすべきところとを切り分けている。それは、立法政策に基づくもの
>  であると述べているだけです。立法政策による切り分けですから、事情が変わ
>  れば、法改正によりその切り分け方を変更するのは当然です。

だから、その中立的であるべき「価値」そのものが、立法政策によって変
わるって現実を同時に語らないと、「価値中立」って表現は意味を持たな
いでしょう、って言っているだけ。
その上で、ABC氏はそれは「価値中立ではない」って主張しているけど、
著作権審議会は、「私的使用」をもって権利制限の要件の一つとした30条に
おいて、事後転用もまた「私的使用」あるいは他の制限条項の縛りを受ける、
と主張している訳でしょう。

ひょっとするとABC氏の言う「著作者は完全な権利を有しているのだが、法
の定める一定の要件を備える場合には、それが制限される」って主義に基づ
くものかも知れないし、違うかも知れない。
全く別の主義が介在しているのかも知れない。その点については私は一切
述べていません。勝手に誤解したのはABC氏です。

>  私が、自説を根拠づけるために、岩田さんの指摘されるような意味で「本来」
>  という語を使用したことはありません。

うーん、でもさあ、「価値中立」って用語でもって、結局はある主義を
価値の中立と定義しよう、って言っている訳でしょう?
その部分が、実は「価値中立」ではない、って言っているだけなんだけ
どなあ.....

>  なお、岩田さんは、現在では、著作権法上、著作者は法律によって与えられて
>  いる複製権等(これらは30条以下の制限を付されたものです。)の範囲を超
>  えて著作権を有していないということは理解されているようなので、これ以上、
>  この点について議論するのは、確かに、意味がないように思います。

昔からだってば。いつ「範囲を越えて有してる」なんて言ったの?
仮に、著作権審議会報告を紹介することでそう言っている、って考え
るのならば、それは価値中立でもなんでもありません。

単に、自分が信じる「主義」でもって他の説を評価しているに過ぎま
せんね。
あまつさえ、ある説を紹介することによって同主義を信じている、と
勝手に「誤解」するなんて........

私が同報告書を重視する必要があると述べている理由は、既に何度も
述べています。あなたが勝手に想像する様な理由からではありません。

# 純粋に立法手続き上の事実判断からです。

>  しかし、そうなると、30条により私的使用目的で適法に複製したものを私的
>  使用目的外で他人に貸与した行為が49条の要件を備えていないにもかかわら
>  ず、複製権の侵害となるという審議会の報告書の記載は、法的に説明がつかな
>  いはずです。

だから、そこで「法的」って言葉を持ち出すから話はややこしくなる
んだってば。法律論からいけば、自説が正しくて報告書説は間違って
いる、って主張すること自体、厳密な「価値中立」からはずれている
んだってば。

同報告書を提示し、これが立法や行政の場では妥当な判断であると
考えるのが妥当ではないか?って主張すること自体が、ある主義に
捕らわれた結果だ、って考えることの危険性を十分に認識すべきです。

>  そして、その帰結として、岩田さんも、審議会の記載が一種の政治運動として
>  述べられている主張を記載した可能性が強いことを認めざるを得ないでしょう
>  し、

あのさあ、何で審議会が「政治運動」をしないといけないの?
「政治的圧力が介在したの結果、あのような判断を明示した」ってのな
ら判るけど。

また、同報告書は、どう読んでも当時の法制度の解説に過ぎません。
あなたも自らの「べき」論から離れて、価値中立的に同報告書を眺める
べきです。

# 結局、同報告書は法律論としておかしい、って前提を人に認めさせ
# たいが故の発言なんでしょうけど。そのおかしさを認識できないの
# は法律的議論ができていないからだ、って主張もしかり。

更に、収賄等の違法な手段を使って「政治的圧力」を審議会に加えたって
のなら話は判るけど、そういった事実をご存知なの?

審議会自体は「政治運動」なんてしませんぜ。大体、様々な利害関係者
が集まっている委員会なんだから、統一的な政治運動しようにもできな
いでしょうが。外的要因による「政治運動」の結果として、あの様な報
告書がまとまった、ってのなら話は十分に判る。でも、それが政治(立
法)の現場でしょう?

>  そのような見方をされるのであれば(私もそのような政治的な運動がある
>  こと、それが審議会にまで影響を及ぼしていることを否定するものではありま
>  せん。)、新たに、法律論を前提として、私が述べているような観点から、こ
>  の問題を検討し直してみようという気持ちになられるのではないかと思います。

だから、私は政治的判断そのものを重視しているんだってば。
だって、著作権は無体財産権であり、完全な人工権利なんだから。
その客体や主体が、政治と無縁でいられるはずないじゃないの。
ましてや、わが国は知的所有権に関する国際同盟や国際条約に積極的に
参加している国の一つなんだから、国際社会の情勢に従うのは、当然で
しょうが。

そういった部分に、なぜ「べき」論を持ち出すのか、って言っている
だけ。価値中立は、その基礎となる「価値基準」を示す主義が存在し
て初めて成立する議論。それに「法律学ではこれが当然だ」って主義
を持ち出すから、話はややこしくなる。

立法論に「べき」論を持ち出すのはいいよ。別の機会におおいにやり
ましょう。私だって10や20の「べき」論は持っている。

でもね、法律は、立法府における議論の中で、民意の集積として制定さ
れるもの。もちろん、その法律が憲法に反しているかどうかの判断は、
三権分立の中では司法が担っている。だからといって、司法が万能であ
る訳でもない。特に、あまりに人工的過ぎる著作権ってのは、その客体
や主体が時の政治情勢によってしばしば変更される。
また、立法の一段階として示される著作権審議会報告は、その報告に
沿った改正がなされたとするなら、一種の立法趣旨を提示している。

それは、法律を形成する段階での議論であり、その議論が法解釈に影響
を与えない、と考える方が間違っている。

法はある主義に捕らわれた自称「法律専門家」だけのものではない。
その制定過程で、主権者全員の権力が行使されている訳なんだから。

fjという公の場である指針を示そうとする時に、審議会報告を「ある
法律的主義からすれば間違い」と断じた自称法律専門家の意見のみに
従う勇気は、私にはない。

どちらをより信用する?と言えば、審議会報告が置かれた立場を考え
る限り、報告を信じた方が「無難」だ、という結論を提示しているに
過ぎない。もちろん、新しい資料が出てきたら、話は別ですけどね。
私はまだ、新しい資料を発見できてはいない。

そういう意味では「べき」論を極力排して論じているつもりなんだけ
どなあ。あえて言えば、「立法の場で行なわれた議論を今現在の著作
権制度解釈に反映すべきだ」という「べき」論は論じているけど....

ある意味、裁判の場で裁判官に求められる「良心」を提示している
様なもんなんだけどなあ......価値中立の:-)

法30条はその中で、事後転用については著作者が有する複製権の枠外
とも枠内とも言っていない、って部分では合意が取れているんですよ
ね。私とABC氏の間では。

49条に抵触しない無断転用が、複製権者に無断で行なわれたとして、
それは権利の侵害になるかどうかは、30条自体は直接語っていない。
ならば、立法趣旨はどちらか、って考えた時、著作権審議会報告が
大きな価値を持ってくるだろう、ってのが私の主張なんですけどね。
価値中立的に見ればね(^_^;;)

少なくとも、原告か被告かは判らないが、権利が侵害されたと主張す
る側の弁護人は、こういった論理で弁護を展開すると私は考えますよ。

権利侵害はない、とする側の弁護人は、法が規定していない以上は、
何をしたって権利侵害にはならない、って主張するでしょうけどね。

どちらの主張が正しいか、を判断する裁判官はどっちを選択するで
しょうかね?それとも、第三の道を提示しますかね?

法律専門家たる裁判官ならば、必ず後者の主張を選択する、ってのが
ABC氏の主張なのは良く判ってますけどね。
私はその認識に異義を唱えているだけ。

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