No. 1054/1090 Index Prev Next
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From: "ISHIBASHI" 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: 30条と49条 (罰則関係)
Date: Fri, 6 Oct 2000 23:00:18 +0900
Organization: BIGLOBE dial-up user
Lines: 161
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Nakagawa wrote in message
< 8ri4df$40s$1@pin2.tky.plala.or.jp> ...
> つぎに母集団が「家庭内その他それに準ずる限られた範囲」より
> も一定以上大きくならないと公衆と認めないとするならば、
> 母集団独自の範囲定義が明らかになる必要が出てきます。
> その判断基準に「家庭内その他それに準ずる限られた範囲」
> で使われたのとは別の親密さを持ってくることは可能ですが、
> そもそも親密さという、一次元的な物差しでは計れない基準を
> 「家庭内その他それに準ずる限られた範囲」の決定に使うことに
> 抵抗を感じていた私としては、「またか」としか言いようがあり
> ません。

私の前に述べた主張では、母集団=「公衆」ですから、
母集団の範囲定義は、2条5項です。
つまり、特定多数人も含む、です。
そして、特定多数人とはどの程度の範囲の集団かと考える時は、
著作者の利益と他の人の自由使用とのバランスをとりつつ文化
の発展を図るという著作権制度の趣旨も考慮して解釈する訳です。

実際、裁判所では、その貸与行為の具体的事実を全て明らかにした
上で、その行為が「公衆に貸与した」に該当するかどうか、個別の
事件ごとに裁判官が判断します。貸した相手方との「親密さ」とい
う具体的事実も、判断資料の一つとなり得るでしょう。これを資料
の一つとして用いること自体、決して不合理ではありません。

Nakagawa さんは、母集団の範囲が不明確であるとの見解をもって
おられるようです。しかし、法上の範囲定義が上位概念で規定され
ている場合、個別の事件がその範囲に入るかどうかは、制度趣旨に
合致しているかどうかも重要な判断基準になるわけです。で、「親
密さ」や、その他のもろもろの事実は、あくまで制度趣旨に合致し
ているかどうかの判断基準に用いる為の一資料にすぎません。

> さて、母集団を与えると、それが公衆に相当するかが決定できる
> として、次には具体的な貸与行為が、どの母集団に対して行われ
> たかを決定しなければなりません。
> 例えばfjで知り合った人に貸すときには、どれを母集団とします
> か?
> 日本人全体は広すぎるにしても、fj.rec.tvの購読者で良いので
> しょうか。
> 購読者集団ではあいまいですが、投稿者集団はもっとあいまいで
> す。
> 貸す人がjapanや、他のフォーラムも見ていたらどうしますか?

「fjで知り合った人」とは、単に「○○の番組を録画した人、ビデ
オを貸して下さい」と fj に投稿した人(A)とそれを読んで貸し
てあげる人(B)と受け取って良いでしょうか? とりあえず、そ
れを前提で話を進めさせて頂きます。

この投稿を読んだBがAに録画ビデオを貸与した場合、Aが属する
母集団が「公衆」に該当するか否か。すなわち、Aが属する母集団
が多人数の集団であるかどうか、いかにして解釈するのかという質
問ですね。これは先にも述べました通り、制度趣旨を考慮して解釈
します。BがAに貸与する行為は、果たして著作者の利益を犠牲に
してまでも適法と認めるべきレベルのものなのか? ただし、ここ
で重要なのは、日本国内で一人しかその貸与行為をしないという狭
い視野で考えてはいけません。日本国内の全員がBと同じような貸
与行為を行なったとしても、それを適法と認めるべき行為なのかと
いう、あくまで全体的な視野に立って法律上の解釈をすべきです。

そして、一つの解釈の仕方として、Aが属する母集団は、Bの貸与
行為の必然性、あるいは必要性(うーん巧い言葉が思い付きませ
ん)からみて、かなり広い範囲かつ多人数の集団と判断し、「公
衆」に該当する、と結論付ける考え方があります。

また、全く別の解釈の仕方として、実際に「○○の番組を録画した
人、ビデオを貸して下さい」という投稿を日本国内で一人しか投稿
していないならば、その事実を重視して、母集団は一人だけだから
「公衆」に該当しない、と結論付ける考え方もあるでしょう。

しかし、本件の貸与行為は、著作者と他者とのバランスからする
と、違法とした方が制度趣旨に沿っていると私は思います。した
がって、制度趣旨に合致していると思われる前者の解釈を私は採用
したいと考えるわけです。

> 上記の例では、いずれにせよ母集団は公衆と言えるかもしれませ
> ん。
> でも、友人に貸すときはどうでしょう。
> 友人なら誰でも貸したのではないか、と聞かれて抗弁をどうしま
> す?
> 私には、何年も連絡していないけれど、ビデオ貸してといわれた
> ら、見てしまったTV録画なら喜んで貸す位の友人は100人では効き
> ません。
> 友人に貸すのは、特定多数の公衆に貸すことになりませんか?
> 
> 何故こんなに判定が困難かというと、すべてが仮定の話だからで
> す。
> 貸すときに、母集団を考えての具体的な意思決定も、行為も
> 貸す人は行いません。そのために、
> 「あの時、仮にこれこれの人が頼んでもあなたは貸したのではな
> いか」
> という質問に、はっきりと答えるのは、正直であればあるほど困
> 難です。
> 法律は、このような仮定の上に立った判断を採用するのでしょう
> か?

ここからは、かなり個人的な見解になりますので、異論が有りまし
たら、遠慮なくご指摘下さい。
仮に Nakagawa さんが、ある友人に録画ビデオを貸与して、その貸
与行為が裁判で争われたとします。そこで検証されるのは、あくま
で具体的に貸与した Nakagawa さんと友人との間における全ての事
実関係です。単に「友人です」だけでは資料としては不足です。な
ぜならば、裁判所は、著作者と他者とのバランスからみても公正か
つ妥当な結論を下さなければならないからです。また、単に「友人
です」だけでは資料にならないので、他の99人の友人の関係はさ
ほど役に立ちません。これを前提とした上で、その貸与行為の事実
関係と同レベルの母集団がどの程度の大きさなのかを裁判所が想定
し、その母集団が「公衆」に該当するのか判断し、そしてその判断
の結果が制度趣旨に合致しているかどうかを確認するのです。

> さらに、「頒布」の解釈についての問題があります。
> たった一人に貸して、引き続き他の人に貸す計画がないとき、
> その行為を「頒布」と呼べるのでしょうか?

「引き続き他の人に貸す計画がない」というのは、ある意味、仮定
のお話ですね。で、わたしは、Bの「貸す計画」は「頒布」の解釈
において問題にしません。上記に述べましたように、あくまでBが
実際に行なった貸与行為における事実関係を検討し、その事実関係
から母集団を想定し、「頒布」すなわち「公衆に貸与した」に該当
するかどうか判断する、という考えをとります。

> 著作権法では頒布を「…公衆に譲渡、又は貸与…」と定義してい
> ます。

以前の投稿で説明しました通り、私は、この「…公衆に譲渡、又は
貸与…」という条文の文言を、「公衆の一部又は全部に譲渡又は貸
与」という意味に解釈しています。こう解釈しても、日本語の解釈
としては別に変ではないし、こう解釈した方が制度趣旨にも合致し
てると思うからです。

> そこには複数の概念が書かれていませんが、
> 書かれていないからといって、元の「頒布」が含意する、
> 多数回の概念が、著作権法の「頒布」の言葉から消えているので
> しょうか。
> もし一回でも頒布というのなら、それを明示するのではありませ
> んか?

これも以前の投稿で弁明した事の蒸し返しですが、特許法29条1
項3号の「頒布された刊行物」は、通説では「不特定多数の者が
見えるような状態におかれること」と解釈されており、誰かがその
刊行物を見たという事実を必要としないとされています。で、29
条1項3号では「誰かがその刊行物を見たという事実を必要としな
い」という明示は有りません。「頒布された刊行物」という語か
ら、「誰かがその刊行物を見たという事実を必要としない」という
意味を読み取れるであろうと立法者は考えたからでしょう。

これと同様に、著作権法の「頒布」の定義においては、「公衆に譲
渡又は貸与」という語から、「公衆の一部又は全部に譲渡又は貸
与」という意味を読み取れるであろうと立法者は考えた、と思うの
はおかしいでしょうか?(これも個人的な見解ですが)

以上、長くなりましたが、これが私の反論です。
ただ前にも述べました通り、この解釈論に関しましては、私も現在
資料を収集中であり、上記の私見に固執しようとしている訳ではあ
りません。あくまで現時点で、私自身が最も納得できる考え方をこ
こで披露した訳でして、反論、指摘等は常時歓迎致します。 

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ISHIBASHI
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