No. 1045/1090 Index Prev Next
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From: "Nakagawa" 
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Subject: Re: 30条と49条 (罰則関係)
Date: Thu, 5 Oct 2000 23:54:53 +0900
Organization: PLALA
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中川@つくば です
ISHIBASHIさんの母集団説についての、
私の違和感をまとめてみました。

母集団説によって、ある行為を49条違反とするには、
母集団が公衆と言えるものに値するかが重要です。

ここで、母集団が「家庭内その他それに準ずる限られた範囲」
以外を含めば、必ず公衆と言うべきである、とするならば、
母集団が公衆と言えるかどうかの決定は単純であり、
結果的には岩田さんの中間層不在説と同じになります。
そしてその時には、岩田さんの説と同じ問題、すなわち、法律が、
「家庭内その他それに準ずる限られた範囲以外の者」と書かずに、
「公衆」と書いたことの理由が説明困難である問題を抱えます。

つぎに母集団が「家庭内その他それに準ずる限られた範囲」よりも
一定以上大きくならないと公衆と認めないとするならば、
母集団独自の範囲定義が明らかになる必要が出てきます。
その判断基準に「家庭内その他それに準ずる限られた範囲」
で使われたのとは別の親密さを持ってくることは可能ですが、
そもそも親密さという、一次元的な物差しでは計れない基準を
「家庭内その他それに準ずる限られた範囲」の決定に使うことに
抵抗を感じていた私としては、「またか」としか言いようがありません。

さて、母集団を与えると、それが公衆に相当するかが決定できるとして、
次には具体的な貸与行為が、どの母集団に対して行われたかを
決定しなければなりません。
例えばfjで知り合った人に貸すときには、どれを母集団としますか?
日本人全体は広すぎるにしても、fj.rec.tvの購読者で良いのでしょうか。
購読者集団ではあいまいですが、投稿者集団はもっとあいまいです。
貸す人がjapanや、他のフォーラムも見ていたらどうしますか?

上記の例では、いずれにせよ母集団は公衆と言えるかもしれません。
でも、友人に貸すときはどうでしょう。
友人なら誰でも貸したのではないか、と聞かれて抗弁をどうします?
私には、何年も連絡していないけれど、ビデオ貸してといわれたら、
見てしまったTV録画なら喜んで貸す位の友人は100人では効きません。
友人に貸すのは、特定多数の公衆に貸すことになりませんか?

何故こんなに判定が困難かというと、すべてが仮定の話だからです。
貸すときに、母集団を考えての具体的な意思決定も、行為も
貸す人は行いません。そのために、
「あの時、仮にこれこれの人が頼んでもあなたは貸したのではないか」
という質問に、はっきりと答えるのは、正直であればあるほど困難です。
法律は、このような仮定の上に立った判断を採用するのでしょうか?

さらに、「頒布」の解釈についての問題があります。
たった一人に貸して、引き続き他の人に貸す計画がないとき、
その行為を「頒布」と呼べるのでしょうか?

著作権法では頒布を「…公衆に譲渡、又は貸与…」と定義しています。
そこには複数の概念が書かれていませんが、
書かれていないからといって、元の「頒布」が含意する、
多数回の概念が、著作権法の「頒布」の言葉から消えているのでしょうか。
もし一回でも頒布というのなら、それを明示するのではありませんか?
実際、頒布をめぐる議論で、「回数が問題にならないのは自明」
としたものはありませんでした。

以上の論点は、だから母集団説は成立しない、とするには、
あまりにも価値判断に頼りすぎていますが、
母集団説を有力な説とするためには多くの問題があることを
示しているのではないかと思います。

# H-OGURAさんRitter ABCさんが仮に母集団説に立って
# 説を展開するなら、どのようになるのかは、
# ちょっと知りたい気もします。


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