本を読むという行為を通して著者(=他人)の視点や考え方に学ぶ

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今日はだらだらしつつ、マスターズ(FAN発表練習)の予稿眺めたり、SICP勉強会メンバをケレベッキに連れて行ったり。晴天の割にゴロゴロ雷鳴が聞こえたりしたけどどこかに雷雲でもあるのかな? ワックス塗布作業の日らしく、微妙に部屋間の移動で困ったり。平日やられるよりはマシか。そんな一日でした。

発表練習の予稿チェックの方は、うちの学生を除いて終了。明日にでも共有ファイルに質問・コメント書く予定。折角合同での練習なので外部の視点を優先したいし、そうじゃなかったら合同でやる意味薄れちゃうし。

先日の日記で、

自分で自分を評価して前に進むより引用)
大学生は、自分で道標を築くなり探すなりして歩もう。歩めるようになろう。それが正解の無い問題への取り組み方に繋がります。

とか書いてますが、じゃ、どうやって歩めば良いのか。勿論「これだ!」という絶対唯一の歩み方がある訳ではないです。ただし無目的に手当たり次第やるよりは効率が良い歩み方はあるかもしれない。その代表例が書籍を読むという行為。どんな本を読んだら良いかは時と場合によりけり。でも勧めるには理由があって「好きな時に好きな人の視点や考え方に触れることができる」のは書籍ぐらいだから。今だとブログなりまとめサイト的なものもあるけど、既に確立してる概念については書籍の方が整理/俯瞰されてる可能性が高いというか、大抵「良書」と呼ばれるものは「多数ある中からこれが良い」という選ばれたものなので、玉石混淆のWeb検索*だけ*に頼るよりは良書に頼る方がベターでしょう。

「他人の視点や考え方に触れる」を目的とした別手段の例が、先に書いた「マスターズ(FAN発表練習)」。これは4研究室で集まっての練習です。普段からゼミ一緒にしてる訳じゃないので、たまには集まって他研究室からの視点なりを取り入れたい訳だ。勿論学外での口頭発表もその一つ。金銭的なコストもかかるので回数は少ないけど、なるべく増やして行きたい。こうやって顔を突き合わせてやるのも一つの方法だけど、これは多くの人の時間が必要なので、比較的実施コストが高い。その分、効果的にやらないと勿体無い。

で、話戻って「本」を手段とした時の場合。

友人/先輩/先生らから選書して貰うのも一つのではあるけど、勧める理由や著者の意図、書き方等様々な要因があるので「誰にでもお勧めできる」という一冊にはなかなか巡り会えないです。だけど読んでみないと分からないからまずは手に取って読もう。もしそれだけで分からない/不十分/関連話が知りたい/その先にどういう道が広がっているのか興味がある/etc.といったことなら更に同じテーマで書かれた違う本を読もう。そうやって「多数の視点で書かれた同じテーマ」を読み比べたりしていくうちに「点と点が線に繋がって」いったりする訳だ。同じことを同じ視点で同じアプローチで考えているだけでは前進しにくいけど、同じことを複数の視点で複数のアプローチで考えるとそれらが相互作用して昇華しやすくなる。歩みやすくなる。これが「質は量から生まれる」ということだし、量こなして血肉にしていかないと理解が進まないことでもある。

別の言い方をすると、学習パターンの「まずはつかる」も、論文の読み方も、本質は一緒。他の人の成果物(書籍とは限らない)に触れて、点と点を繋げるために「面白そうなものを集め」たり、「関係を書き出して」みたりといった作業を通して「その世界にどっぷり浸かる」のが大切。そうすることが、

@unnonounoさんより引用)
論文読むって意味あるの?繋がりないし、知識が溜まっている気がしない。最初はそう思うけど、論文を読む(知る)効果が現れるのは時間がかかる。ある臨界点を超えたとき、これ前見たぞ、あの時と同じ手法だ。急に手法の類似性や繋がりに敏感になる。点だと思った論文が線になる。そういうものだと思う

という一つの歩み方に繋がる訳だ。

繰り返しになるけどこれはあくまでも一つの歩み方であって、他に歩み方が無い訳じゃないです。でも、もし他にベターだと思える歩み方を知らないなら、まずはやって(浸かって)みないか。