個別ゼミの再始動/進路相談(私の場合)

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全体ゼミなり欠席組みの調子が改善してから再始動するつもりだったのが、いつまでもずるずると長引くことになってしまって早幾月。待つだけ月日を無駄にしちゃってる感が出て来たので、それはそれとして個別ゼミを再指導することに。いつまでもテーマ決まらないとちゃんと来てる方も心配だろうし。

再始動個別ゼミの1回目は神谷さん。ターゲットが小説という点で平良くんにも近く、どこかで互いに補える部分がでてくることを期待しています。今回はテーマとしてどういう目標を設定できそうかを列挙し、互いの言葉やニュアンスからズレや違いを修正し直しつついくつかの具体的な目標例を設定。そして目標に対するアプローチをいくつか検討してみるという流れで話を進め、卒業研究全体像をイメージしてもらってました。あれこれ図やイラスト書きながらだと手書きが早いし、書いたものを広げて俯瞰したり繋げてその先を考えることもしやすい。ということで裏紙さんを使いまくり。別に新しいコピー用紙使っても良いんだけど。

その後は別学生からの進路についての相談。私自身の場合は、大学入学時にはゲーム作りたかった(ので、課題と無関係にあれこれミニゲーム作って遊んでた)。B1前後では全く進学なんて考えてませんでした。2,3年次で人工知能とか知能ロボットといった知能情報系科目に出会ってから大きく変わり、関連本探したり先生に質問に行ったりしてたはず。その頃もまだ進学というのは意識してなかったのだけど、研究室仮配属されて具体的に論文手渡されてから「そっちの道」を考え始めました。正確には、「どうしようか」だったのが、「そっち一本」になりました。その前後で企業見学ツアーとかにも参加してたのだけど、それ以上に魅力があったし、今でもその魅力に取り付かれている。

論文を手渡され、関聯論文を探しに図書館へ出かけて「雑誌(=学術雑誌)」の意味が分かったり(それまでは学術じゃない定期紙のことだと思ってた)。検索エンジンなかった当時、学会事の学術雑誌が膨大に陳列されてる様を眺めて戦いたり、あれこれ読み漁ってツッコミいれたり、何を書いてるのか分からず悩んだり。(今は検索エンジンある分良くも悪くも探し易いのだけど、それがかえって「巨人の肩」を実感し難くなってるのかなと妄想してしたり)。ツッコミ入れるぐらいなら自分でやれよということであれこれやって論文書いたり。たまたま地元開催してたからという理由で発表ねじ込まれた学会から「論文書かないか?」と声かけられて喜び勇んで書いて投稿したら「分野が違うからNG」とか言われて拒否られ、そのことについて遠藤先生が怒り心頭で先方に電話で怒鳴りまくったりとか。没頭してただけあっていろいろあったか。

具体的な研究活動の始まり「論文読み」だったとすると、具体的に学外に出て発表したのは情報処理学会の全国大会で、当時のログを見ると9月に発表してたらしい。当時はまだプロジェクタなんて一般的ではなくて、OHPシートを使っての発表が一般的な時代。アニメーションは手動(一枚ずつ上乗せ)でやる時代。人によってはその場で党名のOHPシートに書きながら発表したりしてた時代。学内の周りでは見聞きしないことだらけで楽しかったのだけど、先生含めて他の人からは真面目に参加してる変わったやつとか見られてたらしい。そのまま博士後期課程までいくかとか、その後どうするかとか何も考えてなかった(これは事実。自分の人生なんて自分が楽しければそれで良いと思ってるので)のですが、気がつけば今こうしています。ここ最近は研究から遠ざかっている(指導ばかりで自分自身で論文書く回数がめっきり減っている)のが当面の一番の問題だな。自分が楽しめない研究なんて楽しくないし。

ちなみに、一番苦労したというかもう二度とやりたくないのは「博士論文〆切1週間だか2週間前に連絡貰ってそこから徹夜が続いた」ことです。博士後期課程3年目は授業等取り終えてたので丸々1年間アメリカのFermiLabに研修に行ってました。離れてることもあって「日程決まったら連絡ください」とお願いしつつ、修論ぐらいのタイミングだろうとたかをくくってたら数ヶ月単位で違い、それを数週間前に伝えられて死ぬかと思いました。もう、あの頃には戻りたくない。。

でも研究自体はやりたいので時間下さい。(オープンキャンパスの準備しながら)

P.S.
やりたいことがあるなら、そのことを快適にやれる場所に進路を進めるのが。なんとなくでは時間が勿体無いです。