京都大学サマーデザインスクール参加で気づいたこと(その1: 専門家の関与度合い)
前々からプレイヤー参加したかったデザインスクール。琉大側では運営に回ってる都合上無理でしたが、今回は本家のSDS2016に参加することができました。運営や視察では気づけなかった体験が得られたということで、その備忘録を兼ねて書いていこうかと。
[ テーマ提供者(専門家)の関与度合い ]
一言でまとめると、「デザイン≒研究」だということを強く意識できた3日間でした。
沖縄での合同デザインスクールでは、「テーマ」を設定するのは原則として運営側です。第三者や実際に問題直面してる関係者から聞き取り調査等して考慮することもありますが、運営側が主体となって調整しています。テーマに関する事前情報の提供は講演などの形で終わることが多く、ワーク時にはその話を踏まえることはできても、専門家が不在のため推測・想像の域を出ないことも少なくありません。こうすることの大きなメリットは「京大と琉大の意向を反映しやすい。ワーク時の自由度が高い」。「スクール」であるので、最終的なアウトプットの良し悪しと同じぐらいに「ワークを通して何を学べたか」が重要で、この辺りを運営側で調整しやすいというのがメリットです。逆にデメリットは、ワーク時に「誰に聞けば知りたいことを教えてくれるのか不明で、相談しながらのワークは難しい」ですね。情報工学科の例としては、プロジェクトデザインという講義であるテーマに対して討論するという経験を体験させていますが、基本的に専門家不在です。
本家のサマースクールでは、運営側で抽象的なテーマを推奨することはあっても、原則としては自由。ただし何でもありというのではなく「スクール」としてどういう学びを提供したいかということについて、数年かけて共有認識を作り上げた上での自由という文脈が付いています。テーマ提案者がワークのファシリテータを兼ねている分、(テーマ次第ですが)その道のスペシャリストと共に文脈を読み解いたりする等、専門的な知見をベースにしたワークを実施できます。一方で、実施者次第ですが「最初から想定しているゴールへ誘導」するような形になっちゃわないかがやや疑問です。この辺りは「スクールに関する共有認識を上手く擦りあわせておく」ことが必要不可欠でしょう。