No. 984/1090 Index Prev Next
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From: Ritter ABC 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: 30条と49条 (罰則関係)
Date: Sun, 01 Oct 2000 15:23:05 +0900
Organization: Nifty News Service
Lines: 132
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こんにちは。

"Nakagawa"  さん wrote:

>  ISHIBASHIさんのお考えでは、「母集団を考えろ」
>  そして、母集団が公衆ならば行為を公衆に向けたもと認める、ですね。
>  その場合、母集団をどう決定するのでしょうか?
>  
>  普通は、貸す人にとっては、困っている人が一人居る、
>  (他の日本人全部が困っているわけではない)
>  という事実のもと、その人がちゃんと返してくれる人かどうかを、
>  それこそ、記事のシグネチャ、メールで連絡したときの態度、
>  などを総合的に見て、判断した上で、貸すのだと思います。
>  それは、ある意味で、「顔は知らなくても信用置ける友達」
>  になるための通過儀礼と類似したものです。
>  そうやって貸す人に対して、
>  「あなたは、日本人なら誰も良かったんではないですか?」
>  と問いただすのは、殆ど言いがかりに聞こえます。
>  (ここでの論法は、もちろん常識との比較であって、
>   きちんとした法解釈論ではありません)
>  
>  その行動と、世の中多くの公衆に対しての行為とを、
>  横一線にするのは、法解釈として、
>  著作権法の中で一貫し・整合しているかどうか以前の話として、
>  私には納得できません。
>  (それは法として間違っている、の意味ではなくて、
>   他の読み方もあるのに、この読みかたがより自然であるとする
>   主張には同調できない、の意味です)

この問題は、法律的には、「公衆」に対する貸与といえるかどうかの問題であ
り、BさんからAさんに対する貸与がAさんの個性に着目してAさんだから貸
したと言えるような場合には、公衆への貸与とは言えない(特定人に対する貸
与に当たるので)と思いますが、その他の場合には、かなり、微妙なように思
います。一般社会での日常生活での貸借とは異なり、ネット上での人間関係と
いうのは判断が難しいのでは。。。
その辺りはいろんな御意見があるのではないでしょうか。

なお、この問題について、私は、以前、意見を述べています。
詳細は、そちらの方を御覧頂ければ幸いです。

Message-ID: < 200007160054101vWzwKaSoL0@pin.tky.plala.or.jp> 
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>  113条1項2号の規定は、私にとっては、
>  「頒布」の言葉が多数を含意する事、そしてそれは、
>  「頒布」のなかに「貸与」が含まれていても変わらない事の、
>  傍証と読めました。
>  何しろ「頒布を目的に所持」していても摘発できるのですよ。
>  それは「私用目的のために所持」することと「頒布を目的に所持」
>  する事が区別できることを当然に前提としているとしか思えません。
>  そのため、この項目の存在から、
>  公衆要件の解釈がどうであれ、一人に貸すだけの行為が
>  頒布に当たる分けない、と考えていました。
>  (この議論の道筋は、解釈論的には本末転倒ですが、
>   整合性の確認としてなら、構わないでしょ?)

私は、多数人に貸与するつもりで店に陳列しておいて、初めて客に貸与したと
いう場合には、「頒布」をしたことになると解釈しているのですが、これには、
異論が有り得ます。現実に多数人に貸与しなければ、頒布にはならないという
意見です。

頒布の目的をもって、不特定人の一人に貸与した時点で頒布を行ったことにな
るといえるかどうか、
この辺りは、刑法の諸原則や判例を前提として解釈する必要もあるので難しい
ですね。自信がありません。


>  # べつにヨイショするわけではないけれど、
>  # およそどの法律も、そこで書きたいことが簡潔に、
>  # 明確に書かれている点で、立法者は、言葉の天才ではないか、
>  # と思うことさえあります。

余談ですが。

政府関係の法律案は、各省庁が作成し、内閣法制局の審査を受ける必要があり
ます。
どのような内容の法律を作るかという政策決定権限は各省庁にあるのですが、
法律案の憲法適合性、その法律案自体における形式的整合性、他の法令との形
式的整合性については、内閣法制局の審査対象になります(あくまで、審査で
す。原則として法制局自体は、立案をしません。)。

各省庁は、審査にパスしないと法律案として政府から提出できないので、予備
審査の段階で長時間をかけて法制局参事官の審査を受けています。
その意味では、立法技術の権威といえば法制局です。

内閣法制局には政策決定の権限はないのですが、そのような憲法適合性と法令
案の形式的審査権限により実質的には各省庁の政策決定に大きな影響を与えま
す。

もし、各省庁が業界団体などの無謀な意見を反映した法令案を起案しても、法
制局で憲法に適合していないとか、他の法令との整合性がないとか、その法律
案の内容自体が相互に矛盾しているとかの理由で法制局の審査を通らないと政
府の法律案にはなりません(各省庁は、それを逆手にとって、そんな法律案を
作っても法制局審査にとおらないからダメだといった言い方をして圧力団体の
意見を拒否することもあるようです。)。

ところが、おもしろいことに、そのような法制局の武器というのは、「言葉」
、法律案の「文言」の審査権限のみなのです。

利害の対立する事項を規定する法律は、利害関係者がそれぞれ勝手な解釈をし
て自分に有利な結論を導き出せるのでは規範として機能しません。そのような
ときに唯一頼りになるのは、「条文の文言」です。条文の文言こそ「客観性」
のある規範内容なのです。
そのために、立法担当者は、心血を注いでいると言っても良いと思います。
審査は、そのようなプロが集まった上、一つの条文について8時間はかけると
言われています。

我が国の法律は、ローマ法にまで遡る伝統のある法律の諸原則を前提として、
その構造(条文の配置等)、文言を熟考し、一言一句、とぎすました言葉を用
いて起案されています。
法律を解釈適用すべき法律家達がその文言を重視するのは当然です。
裁判においてももちろんそうです。

なお、各省庁の立案者のうち、法制局審査において参事官から直接審査を受け
るレベルの担当者は、法制局のそのような立法技術を理解しています。

私が以前名前を挙げた「作花文雄」氏は、そのような立法担当者であったので
はないかと思います。

ちなみに、私は、内閣法制局の関係者ではありません。


法律論  大歓迎!

--
Ritter ABC  
 

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