「複雑系科学と応用哲学」沖縄研究会第1回大会, day2

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「複雑系科学と応用哲学」沖縄研究会第1回大会、2日目のメモです。

初日もそうでしたが、二日目は初日以上に討論を通しての互いの意識・問題点・アプローチの妥当性といった様々な観点における擦り合わせを中心として進み、結果的には発表者自身も様々な視点を得られているという形になっていました。異分野の専門家同士が本気で討論し合うと、全国大会やシンポジウム、研究会とも違った面白さがありますね。

複雑系科学と哲学の親和性の高さというか、似たような所で困ってるという印象を強く持った一日でした。
また、複雑系工学との違いというか「構成的アプローチ→実環境へのアナロジー」を強烈に問い続けている点は、なるほどという印象。工学的には「実際にそういうモデルで動いているかどうかはおいといて、とにかく効率良く動けば良い」みたいなところもあるし。


目次


「心の哲学とロボット工学の出会い~ロボットの持ち得る意図的主体性は人の心的表象の理解にどのように迫れるか」 , 金野武司(JAIST)

共同注意という現象の理解に構成的アプローチで迫る
共同研究
 認知ロボティクスの哲学
 意図的主体性のロボット的構築に向けて

研究の興味  人の人らしさはどんなところにあるのか?   意図を推論し合うスタイル   シンボル操作による創造性の発揮  非言語コミュニケーション
  共同注意における心的理解の発達過程(乳幼児)  言語コミュニケーション   記号によるコミュニケーションシステムの形成過程

複雑系としての問い  社会の規範が先か、個人の能力獲得が先か(にわとりたまご問題) 
  必ずしも因果に分けて議論できない現象   因あって果があり、それがまた因へ影響を及ぼす。その繰り返しでルールも変化していく。   こういうループ構造を持つものとして捉えるのが複雑系の見方。    進化発達過程     汎用的な学習モジュールが最初から備わっているのか。     規範(制度)を生み出すための特化した能力があるのか。     学習モジュール+規範生成能力の両方が無いといけないのか。      人間以外には規範を生み出せない?       八の字ダンス:inertに持ってるif-thenルールに過ぎない?

inert問題/学習vs発達  言語を獲得する能力はinert。日本語を獲得するのは学習。  通常の然るべき環境におかれて自然と獲得するものはinert、とするのが良いのでは。   ある状況化ではこうなる、という能力そのものをinertと呼ぶのは良いが、   状況まで含めてinertというのは行き過ぎでは。    体内外では分けられない?→困難     線引き問題なので今回はここまで。  基盤としてのコミュニケーション能力=inert。

乳幼児の発達過程  反射的な行動をする状態から、気がつけば意図を理解した状態に→社会参加  社会に適応する能力の発達は相互補完でロバスト

コミュニケーションで大事なことは?  書籍「自閉症の謎を解き明かす」1991, p.209   食卓で「お箸取れる」「取れるよ(取らない)」   電話で「誰々いますか?」「います(呼んで来ない)」  他者の意図を理解する   その人が何をしたいのか、何をして欲しいのか。   自閉症者だと、言語的な学習はできるが、意図は学習できない?    特殊パターン(意図を理解するのではなくif-thenで覚える)を多数学習する。    どのパターンに当てはまるか曖昧な状況ではパニックに陥ることも。

他者の意図を読む?  G. Gergely, et.al., Rational imitation in preverbal infants, Nature, 415(6873):755, 2002.   意図を理解してるか否かで説明しやすい実験。   14歳児頃からそういうことを理解していると解釈できるような反応。    模倣してるだけ?     模倣してるだけだとしたら何を模倣している?  N. Meltzoffらの実験(1995) ボルトとナットの実験   どのような状況下で意図を推論しようとする能力を発動させるか。   ロボットでも視線のやり取りをすると発動することが多くなる。    ザクのような顔では顔と認識しない?    数ヶ月ではおぼろげで視線には反応できない(顔の向き等)。    12ヶ月頃から視線に。  意図性の判定はもの凄くグレー。  意図に気づき始めると何にでも意図を考えたくなるのか  何故何故坊や   女子:ターンテイク自体を目的としがち
  男子:何故なのかを知ることを目的としがち

視線のやりとりについての発達  共同注意   親の視線方向に目を向ける行動(6ヶ月頃〜)   他者の意図を理解(14ヶ月頃〜)   他者と意図を共有する(24ヶ月頃〜)   「自分がそのオブジェクトに注目していることを、    親が分かっている    ことを自分は知っている」    that節としては(遅延して)言語獲得できるが、構造としての入れ子構造にはならない(?)   Tomasello 195, Dennett 1987, 金沢1999

心的理解の発達をどう解明するか?  3つの過程   1. 反射的な行動から意図的な行動への発達   2. 他者の意図を理解する段階への発達   3. 他者に意図を伝え、意図を共有する段階への発達  Tomasello, 心の理論, 発達心理学, 信念  誤信念課題までは考えていない  心の理論課題   欧米では3~4歳からじゃないと無理(と言われているのを良く聞く)   日本では4~5歳からじゃないと無理(と言われているのを良く聞く)    論文としてはまとまってない    言語の問題?文化の問題?実験設計の問題?     日本語がシステマティックじゃない分、文脈依存度が高く、     心の理論問題のようなシンプルな課題に落とし込めない?      だからこそ他者の意図理解が大切では?

Tomasello, 2000(書籍)  意図的な主体になる   意図に身を任せた行動/メタ認知/反射的な行為

反射的な行動を生成するシステムの用意  周辺刺激への敏感性, Atkinson et al., 1992  反射的な共同注意(共同注視), Hood et al, 1998; 板倉, 2005  視覚定位の運動モジュール+学習モジュール, Nagai, 2003; Triesch et al, 2006   モジュールを並列化することでも反射的に行動する点は変わらないという立場  意図的な共同注意   学習モジュールで必要なこと    親が見た対象を思い浮かべ、その想起対象があるだろう方向に視界を向ける  →8名被験者での予備実験では差が見られず  見ようとしていると感じさせた行動   反射的なロボット:ボールとは違うところを見たらそっちを見たとき    =反射的な行動   意図的なロボット:「自分が適当なところを見ていたら、ロボットがボールを見ていた」とき    =意図的な行動   →意図を感じさせた状況に違いがある


討論2「心へのアプローチ:複雑系科学と応用哲学の方法論的差異」

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「ポテンシャルモデルを用いた均衡表現による囲碁の解法」, 大島真(琉球大学大学院 理工学研究科 総合知能工学専攻)

山田研究室紹介
 複雑系xモジュールロボット
 複雑系xボードゲーム
  局面=配置そのもの。not情勢。
   およそ10^360乗
  固有ルールが存在し、ルールが特有の構造を作る。

囲碁の概要 囲碁の研究  「競合共進化アルゴリズム」を利用した「詰め碁」の解獲得   競合共進化:敵対関係にある種間で共に進化   共生共進化:助け合いながら進化  「モンテカルロ碁」に対する「ポテンシャルモデル」の適用

共進化  種として分けられるのか/分けることの意味   今回は先手後手でコーディングが異なる    大雑把には同一ルールだが分けないとうまくいかない?    バリエーションの問題なら島GAとか別解決がありそう。     先手後手を分けないとコーディング/適応度関数が設計上複雑になり過ぎそう。     詰め碁なので対戦よりはパズルに近く、役割が固定されているとした方が楽。      対戦のような局面が偏っていない状況化では先手後手を混ぜた設計が必要では。  適応度の設計   呼吸点 liberties を主体とした設計

囲碁の問題点  適応度関数の設計が分からない   いつどのタイミングでどこにおくべきか   勝敗に至るプロセス  将棋やチェスだと駒毎に点数付けたり、動ける範囲を考慮することで点数化しやすい傾向。  全体を見る大局観が必須。

ポテンシャルモデル  黒白を対極ポテンシャルとみなす。  ポテンシャルエネルギーの均衡状態を指標に探索空間を一部に限定することで計算コスト削減。  領域を制限したモンテカルロ碁=ゲーム探索木+数値的特徴

ポテンシャルの決め方  石のある場所を最大値とし、1マス離れる毎に半分。   正当性は実験で検証。   一般モンテカルロでの全領域対象した勝率の偏りで評価?   でもポテンシャル場は勝率を表す訳ではないのでは?    モンテカルロ碁の計算コスト削減は分かるが、大局観に繋がる?     単峰性よりも多峰性の方が良いよねというヒューリスティックのように繋がると面白そう。  枝狩り方法   陽領域/陰領域/なだらか領域/勾配領域   勾配領域が最も枝狩りできた(16手目ぐらいまで)    何故序盤で勾配領域を選ぶと良くなるのか?   陽領域はすぐ下降。   領域のコンビネーションは?    勾配領域をベースに手探りで組み合わせると、多少改善。  モンテカルロ碁自体が正解を出すものではない  棋符で確認してみるとか

ポテンシャル場と呼ぶ必要性  場ではあるがポテンシャルにはなっていないような。  勾配を利用して進む訳でもない。


「心の観測装置としての身体表現―マインド・リードをめぐる実験哲学の試み―」 , 長滝祥司(中京大学)

心の研究
 脳科学者らの蓄積してきた経験的データ
 脳の状態と心的状態との対応関係を解明するやり方
 哲学者の言う「説明ギャップ」
  マッピングできたからといって実際にそのように生じているとは言えないのでは。
 (1) 心的状態にアクセスする二つの方法。
  一人称の方法と準二人称(準三人称)
   観察者が被験者の行為を見て心の状態を推測できるかどうか。
   一人称(内観)を信頼する程度には準三人称も信頼して使うのでは?
   表情や身体動作を見て記述された内容はどのぐらい信頼性があるのか?
    一人称と準三人称の報告を比較した時に、準三人称でも良いとされた時の嬉しいことは?
     手段が内観だけでなくなるので、ツールが増える。
 (2) 素朴心理学を巡る論争とそれに関連する現象学の議論を検討。
 (3) 心的状態にアクセスする準二人称の方法の検討。
 (4) 身体表現の理解や記述の程度や情報量・信頼性について実験的検証を踏まえた検討。
 (5) 身体表現や表情の記述の適用可能性についての考察。

心の科学の難しさ  脳内の計測は技術的に精度が向上していく。  脳内状態と心的状態との対応関係については困難。   観測者間の違い/共通了解   言語表現/類似した記述の仕方   数量化する装置では「観測者間の違い/曖昧な状態/読めない状態」を扱いづらい。

観察者の訓練  神経現象学(Valera, F., Thompson, E.)   被験者を訓練することで主観的報告の信頼性をあげるという方法。  共感能力   重要だが、心的状態のあらゆる次元で等しく信頼できる情報を与えてくれる訳ではない。   この能力の及ばない心的状態もある。   →第二の方法で得られた情報が、客観的データとしてどの程度信頼性を持ちうるか

素朴心理学を巡る論争  理論説   「素朴心理学は一つの理論(心の理論)である」と主張する立場。   機能主義。因果を説明。  シミュレーション説   素朴心理学は他人に対するシミュレーションの実践だと主張する立場。   「他人と自分は類似した存在者である」という前提からはじめる。   オフラインで自分の反応を使う。    シンパシーを使う。エンパシーではない。    他人の気持ちを慮る訳ではなく、自分がその人になっちゃう。    感染:もらい泣き。     シミュレーションか?  どちらも心的概念は必要。ハイブリッドもある。  状況により使い分ける人もいれば、両方とも使わない人も。  ギャラガー「内的装置も推論も使わずに目で知覚するように相手の心的状態が理解できる」

現象学の提案  メルロ=ボンティの言葉  →顔に限定せずに身体に拡張しても良い   心的状態を表現する時にしばしば身体全体を使う。   心は身体表現において可視化されている。

他人の心を理解する能力  生得的と呼べる部分/社会関係の中で獲得される部分  他人理解に失敗する理由   身体動作や表情に本質的に現れない領域がある程度存在する   理解する能力が不足している   →能力養成で客観的な記述を。

作業療法士を対象とした実験  職人芸的な趣が強い。   第三者に伝えるのが困難  理解したと思っても独断的な解釈の可能性として批判されることも。   患者の意図や欲求をより正確に把握するには言語的なコミュニケーションが最適。   身体動作や表情からは不正確な情報しか得られないとする傾向。    暗黙知の言語化。  一般的には適切な治療方針とのマッチングには半年以上かかる。   「何でその作業をさせるのか」   暗黙知と治療方法とは必ずしも直接的には繋がらない。   心的状態理解に対する暗黙知技能が療法士のスキルに直結する?    的確な治療を選ぶ根拠として使えるものと、使えないもの    医者は物理的な身体しか見ない?  再現可能な記述の構築、ターミノロジーの構築

実験  怒りの表出傾向:Anger-Out, Anger-In  コースター制作作業で判断   正答数には有為さが見られなかったが、年齢や経験年数との相関は見られた。   身体表現や表情だけでなくインタラクションの仕方に着目。

分類/ターミノロジー/体系化 言語/記号/定量的表現

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