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From: Hideaki Iwata 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: Re: 30条と49条 (罰則関係)
Date: 27 Sep 2000 14:35:27 +0900
Organization: Center for Information Science, Wakayama University
Lines: 108
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ひで@和大、です。

"Nakagawa"  writes:
>  中川@つくば です

>  岩田さんが「権利の制限」といっている時には、
>  著作権法が、21条で著作者に複製権を専有させて、その後、
>  それを制限するという、文章構造上の点を指摘していますね?

違います。文章構造以上の意味がこの問題には含まれています。
コンメでも、「権利の制限」には大きく二つの類系があると述べています。

# 4類系を提示してますが、より大きく区分すると二つになる、って話ね。

一つは「もともと著作者の権利に含まれていないケース」であり、もう
一つは「概論的には著作者の権利に含まれるが、様々な理由からそれを
法が制限しているケース」です。

その上で、コンメは、30条はその両方の性質を持っている、と述べてい
ます。なぜそう述べざる得ないか、ってのは、多分、ABC氏も小倉氏も
ご存知のはず。

30条2項に「補償金制度」が含まれているからです。
補償金って言葉からも判る通り、

もともとは著作者の権利であるが、社会的要請によりその権利の一部を
法により制限している。しかしながら、その制限によって著作者の経済
的損失が著しい旨を認めたから、補償金制度を整備することによって、
その経済的損失を最少ならしめ、文化の発展を図ろう!

ってのが、その趣旨です。
従って、補償金って言葉を条文上に含んでしまった以上、30条は上記
した二つの類系のうちの前者でのみ存在することはできなくなったので
す。

# かつ、近年、30条から49条に多数の「補償金制度」が導入されてい
# ます。これは、30条への導入が「成功」とみなされた結果と考えて
# いいでしょう。

昭和56年や平成3年の報告書は、その様な論理構成の中、実際に著作者
がどれだけの「経済的損失」を被っているかを計測し、その値が社会
通念上(文化的所産である著作物の公正な利用という観点に立って)
許される範囲にあるか、を検討しています。

「著作者が被っている経済的損失」って概念自体、「何らかの理由によ
り法が著作者の権利を制限している」っていう前提がないと導入できま
せん。それを否定している様に見えるから、私は、「それは違う」と
主張しているのです。

百歩譲って、現行著作権法が制定された昭和45年当時、30条以下が全て
前者の類系だったとしましょう。(仮定ですよ、あくまで)
しかし、補償金制度が導入された時点で、その考え方は一部修正された、
ってみなすのが適当であり、また、それこそが立法趣旨な訳です。

# もともとがそうでなかった可能性は、例えば「著作権法概説」半田
# 正夫 著/一粒社  1996年第7版第3刷発行 の第5章「著作権の限界」
# 第一節「序説」154頁の記述に記されています。
# 半田先生はこの著書の中で、著作権の公的限界と時間的限界に分け
# て現行法の立場を説明されています。

この現実を、ABC氏も小倉氏も良くお判りのはずだ、と私は思っている
んですけどね。

立法(「著作権法の一部を改正する法律」の国会審議と可決・成立)の
中で、時代と共に著作権制度が変容しているのは、明らかです。
また、そういった変化を受け入れることこそが、法解釈論だ、と私は
主張しているだけです。

# 理念は別ですよ。でもそれは立法論でやって下さい、ってこと。

>  で、「複製権は自然には本来全部著作者に帰属するものだが、
>   文化の発展のためには私的複製も認める」という見方は、
>  「著作権神授説は否定されています」という言葉で、
>  岩田さんが私にずっと前の投稿で教えてくださったことそのものですね?
>  
>  だから岩田さんとRichter ABCさんは、この点では、
>  本来同意見なんです。
>  
>  この論点での論争は、止めにしませんか?

以上でお判り頂けましたか?
なぜ、コンメなり田村先生の著書なり(私は確認してないけど)加戸先生
の著書では「本来的に含まれない」部分と「法により制限している」部分
がある、と述べているのか、が。

# 補償金って用語が悪い。その言葉が誤解を生んでいる、って主張も出来
# るけどね:-)個人的には、作花先生の、「制限って言葉を使ったのが悪
# い。それによって誤解を生んでいる。」って説は、受け入れる気がない。
# だって、それって一種の「葵の御紋」なんだもん(^_^;;)
# どんな状況でもこの論理を適用すれば、無敵になっちゃうよ:-)

ABC氏にお聞きしたい。
本来著作者の権利に含まれていないはずの「私的使用のための複製行為」
に対し、デジタル方式の記録媒体に限って「補償金」という制度が導入さ
れた理由はどこにあるのか、を。
私的使用のための複製が本来的に著作者の権利に含まれないのならば、
「補償」などという用語を使うことは適当ではないはず。
せいぜい「寄付」って言葉を使うべきではなかったのか?
これもまた「条文上の用語選択のミス」だと主張されるのか?

# そういや以前、現行の法は全て、内閣法制局の専門家がきちんと
# 吟味して適切でない部分がないかのチェックがなされているから、
# 「法がおかしい」って考えるのはよっぽどのことがないと駄目だ、
# っておっしゃってましたよね:-)
# でも、著作権法に限って言えば、「制限」「補償」って二つも
# ミスがある訳ですか?

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