No. 678/1090 Index Prev Next
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From: "Nakagawa"
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: fj 社会での公正
Date: Thu, 7 Sep 2000 21:54:42 +0900
Organization: PLALA
Lines: 142
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中川@つくば です
Toyohisa Kameyama wrote in message
> 亀山です.
>
>
> なんか, 迷いが消えたようなので, 迷わせてあげましょう. :-)
どきどき(^^;
といっても、また迷いが出てくるよりは、諦めが出てきそうです。
なんせ、
> 審議会報告には, 例として,
> 特定少数の友人間, 小研究グループなどはこの限られた範囲内と考えられるが,
> 少人数のグループであってもその構成の変更が自由であるときは, その範囲内
> いえないものと考える
> とあります.
なんですから。
審議会報告は、法律の解釈では、重要な資料になるのでしょうか。
そうだとしたら、この報告を元に、「法律の趣旨からして」とやられると、
いわゆる通説が判例として出るのが予想され、
結果、私は、法律だからと割り切るしかない立場に追いこまれそうです。
かつて、著作物(本)がとても高くて、
皆が買うなんて、想像も出来なかったときに、
青焼きコピーを作って配る、なんてことは、
きっと著作者に失礼なんだろうと思いながら、
あちこちでやられていました。
著作者の権利を保護すると言うことは、
勝手な商業コピーの絶滅のほかに、こういう、
個人的小規模な違反も無くそうということだと思っていたのに、
お墨付きを与えるとはねえ。
「小研究グループ」という言葉から、
「こういうのは認めてくれないと困る」と主張した、
具体的事情が透けて見えます。そして、
「構成の変更が自由であるときは」ダメであるとしたところから、
「小研究グループ」が閉鎖的なのは当然、とする考えが推測できます。
こういう発想は、昭和の昔に置いてきてほしい。
閉鎖的なグループだけに特典を与えるなどという、
時代錯誤もはなはだしい点を取り去ってしまうと、
上記の文章は、突き詰めれば、「小人数」だけが生き残って、
「(どんな相手でも)10人位までが限度」になるとおもいます。
# これは一貫してはいるけれど、
# あらゆる形態の著作物を対象に考えると、
# 利用者に甘すぎる、と私は思います。
法案を起草する人の意見をfjに求めるのは無理でしょうが、
「特定少数の友人」や「(閉鎖的)小研究グループ」を含めるのに
「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」
なんて文章は、ごく普通なんでしょうか?
なんか、上記の審議会報告自体が、
著作権制限論者をなだめる玉虫色の解釈としか思えません。
「家庭内に準ずる」と言ったとき、「準ずる」が何を示すのかは
「家庭」にどのような特徴を認めるかによって決まるでしょう。
通説は、人間関係の強さに特徴を求め、
類似するものとして「親友」を例示していますが…
> > > 第一、テープを貸す貸さないで、
> > > 「あいつ、俺を親友と思ってねえ」なんて言われたくないし。
>
> 本気でそんなことを言われてつき合いがなくなるようでは,
> "親しい友人" と呼べないのではないかと...
確かにその通り。私も、相手が親友ならば、躊躇なく断れます。
「やや親友」では、断りにくい。
そして、「家庭内」でも断りにくいのです。
上のような、一見不思議な現象がおこるのは、
「家庭での人間関係は、親友の親密度が大きくなったもの」
なんて理解が、トンチンカンだからです。
親密度というものは、一次元の尺度では計れません。
> > > でも、客観的外形的に親しい友人だと認められる人と
> > > 個人的心理的に親しい友人だと認める人が一致するのは
> > > せいぜい高校生のときぐらいまでであって、
> > > 大学、就職、結婚と移行するに従って、
> > > 上の二つはどんどん離れていきます、
>
> それは,
> "親しい友人" が少なくなっている
> ということでは?
それとはちょっと違って、「親友」の類型が多様化した、
と表現すべきでしょう。
そして、後から振り返ると、高校時代の親友関係は、
(ことさらに悪い言葉で形容するならば)
べたーっとした、だらしない、惰性的な友人関係です。
その中にも大事な親友はいるけれども、
新たに付け加わった親友より親密度が高いか、
などという順序付けは、意味をなしません。
> nifty の表でも D. の
> 近所に住んでいる十年来の親友
> という例があり, ケースによっては問題無しになっています.
これは、「近所に住んでいる」「十年来」がキーワードでしょう?
例えば、ある女性の近所に住んでいる幼馴染のパイロットが、
独身で大食漢で、非番のときには決まって、
一緒に食事をしに、のこのこやってくる。
そこの家の両親も、気が良いというか、
いつか娘に「結婚しようよ」と言うかもしれないと考えたからか
いつでも喜んでご馳走する、なんて関係があって、
「このテープ貸して」なんていわれたときには、
家族同様に扱ってよい、ということですね?
それは、「親友だから」とはちょっと違います。
心理的な「家族」の境界線があいまいだからです。
「家族同様の人間関係を持っている小人数集団」
なんて言葉からは、
「うちの会社は零細企業ですが、従業員一同
家族同様の付き合いをしていて、とても楽しいです」
などという、(今となっては)鼻白む言葉しか思い浮かびません。
そう、社会学的にはきっと、
GesellschaftとGemeinschaftの混同なのでしょう、
私の違和感の元は。
どこかの娯楽施設で、
「あなたとあなたの親友とのペアで割り引きます」
なんていうサービスがあったとき、
一生懸命親友を連れてくる人もいるかもしれないけれど、
適当な友達を連れていって「親友です」というのもアリですよね。
本当にそうかと、しつこく調べようとしても、土台無理。
「家族に準ずる人間」として、その親友が合格かどうかを、
心理的・内面的親密度で計るのは、
結局、利用者に「とことん言い張りなさい」
「うまくウソをつきなさい」と勧めるのと殆ど変わりありません。
今の法律がそうだ、というのなら、
そんなもんだと割り切るしかありませんが、
なんとも割り切れないものが残ります。
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