良い結果を出すことではなく、デザイン手法を学ぶことが目的
今日は研究室相談対応といくつか会議があっただけで、合間の時間にデザインスクール関連書類や写真を整理しながら備忘録・申し送り事項を書いてた一日。ということで特別なことは無かったのでデザインスクール関連記事その1でも書いてみます。
大元の京都大学サマーデザインスクールでは、ワークショップの目的が次のように示されています。
「デザイン」とは,プロダクトデザインやグラフィックデザインばかりではなく,社会のシステムやアーキテクチャのデザインをも含みます.本スクールでは,様々な専門性を持つ受講者と講師陣がテーマに分かれ,社会の実問題に挑みます.
先日やった沖縄版では全体のフレームワーク(テーマの設定方法、ファシリテーターの用意の仕方、事前準備の方法等)に違いはありましたが、狙いは一緒のつもりでした。それが上手くいったかどうかは受講生らのアンケート結果から見る限りは部分的に成功していたようです。少なくとも自由記述回答のアンケートからは「グループワークの方法、アプローチの仕方、新たな視点」といった面でのデザインについて体験・練習・学べたという回答が最多でした。
一方で、今回は全グループに共通していたテーマのコアが「沖縄の観光」で、こちらに引きずられ過ぎた感じの回答(「沖縄の良さを再発見できた」とか)がそれに準ずるぐらいに多かったのは少し残念。いや、テーマに興味を持って参加したなら正しい反応ではあるか。ただし、全員が何かしらの専門家という訳でもないメンバで構成されたグループでの発案なので、実際の現場でどのぐらいまともに機能するアイデアなのかは別問題です。そのことをわきまえたというか、京大メンバからの質問は「どういう過程を経てそのアイデアに辿り着いたのか」「対立しなかったのか」「どうやって解決したのか」というようなメタな部分についての質問が多かったのが「流石」という印象。最後の結果の良し悪しも大事ではありますが、それ以上にデザイン手法での工夫等について何を学べたかが重要だということを間接的に伝えています。
これが(学科の必修科目)プロジェクト・デザインの最終発表だと「そんなの既にあるじゃん」とか必要以上にdisるだけだと、萎縮しちゃう。1,2年次は専門家じゃないのだから、もう少し過程や工夫した点等を聞く形で「もっと前進しよう」とする気にさせた方がベターだと感じました。思ったことを伝えるのも大切ではあるけど、場違いなコメントというか。
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