日本認知科学会第29回大会を振り返る
日本認知科学会第29回大会が終了してほぼ1週間が過ぎました。記録を兼ねて、見つかる範囲で本大会関連記事を整理しておきます(下記)。
- 日本認知科学会: 第29回大会 発表論文集(公式)
- 當間レポート: [ 1日目 | 2日目 | 3日目 | (番外編: 前日 | 後日) ]
- 河北新聞: 「適応と変化研究続ける」 野口さん発表 仙台で学会大会
- tate-lab (舘野泰一さん): 「コミュニティ生成の土台としてのワークショップ」を考える:認知科学会で発表してきた!
- Mixed Effects Models Blog: ワークショップへご参加いただいた皆様
當間レポートでは大まかなストーリーと質疑応答を中心としたメモ。この記事では「聴講した発表」を話のタネとして個人的に感じた印象や考えについてつらつらと書いてみます。なるべく複数の発表をまとめてそれらに共通する話題としてピックアップしたつもりだけど、結果的にはそうなってないかも。
関連振り返り: [ JCLA13(日本認知言語学会) | NLP2012(言語処理学会) | IPSJ74(情報処理学会) ]
<目次>
- 統合的認知と現実場面における複雑さ
- 注意の過程と認知の過程
- 錯覚の利用
- こっくりさんや目標伝達にみる無意識的な認知
- 人形遣いに見る恊働作業の達成
- コミュニケーションスキルと足踏みの自発的同期
- 暗黙知・実践知の記述
- 緩い対称性
- 協調学習における学習のプロセスと授業形態?
- 一連の繋がりを持つと認知する過程?
- メンタルモデル?
- 統合的認知と現実場面における複雑さ
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会長講演(proc.)の統合的認知として話された「システムを構成する要素間における階層性や接続関係を踏まえたアプローチ」という大きな枠組み自体はいろんなところで出てきている話。ここでは具体的な構造(トレードオフ関係/インプリシット結合/個人間変動)を仮定し、その仮定をうまく観察するためにどのような枠組みで実験設計したかという事例紹介をベースに、全体的な枠組みに言及されていました。JCLA13での「多層的かつ重層的に捉える」という話も同じような見方かも。
認知的な活動に限らずモニタリングしたデータには何らかの要因で「例外的な値/イレギュラー」と看做したくなるケースが出てくるのが自然。例えばJCLA13振り返りで「仮説に合致しない事例は反例か例外扱いで済ます? もしくは仮説自体に制約を設ける?」ということについて考えたりしましたが、こういう例外なデータ件数が少ないほど「取りあえず無視する」と考えたくなるんですが、ここでは「認知仮定を説明するモデルの構造は同一だが、構造の差ではなくそのモデル上の信号伝達バランスの崩れとして例外的に見える個人差を説明する」という視点が目から鱗でした。面白そうなので視覚科学も買っておこう。
また、共感覚も同じ個人差の一形態というようなスタイル(に聞こえた)として話されてたのも面白かったです。「共感覚」という言葉自体を始めて知ったんですが、例えば「数字の1」に対して「赤」とか明確にそれ以外の情報を知覚してしまう感覚があるという話自体知らなかったのですが、生態学的に個人差で収まるなら知覚過程も個人差で説明つくというのはそうだろうと思います。ただ、そこをうまく説明するための実験設計(被験者の属性抽出を含む)は大変そう。このあたりを「実験計画工学」として支援する的な話があっても良いかもしれない。(呼称はおいといてすでにあったり?)
知覚アプローチ(proc.)についてのシンポジウムでは、渡邊先生の「基礎研究は現実場面の一側面を切り取ったものであって(あるべきで)、何らかの形で現実場面と繋がっている必要がある。応用できないというのではなく、どういう応用を見据えているのかについても話をできるようにしよう」というスタンスから始まり、事例ベースでどういうアプローチで切り込んだかという話。見せかけの複雑さに騙されないこと/エッセンスを残したまま単純化すること、絶対値ではなく差分に注目することといったことは統合的認知も含めてあらゆる問題に共通していますね。ワークショップ(進化言語学)(proc.)でもアプローチの話が多数出てましたが、構成論的手法もうまく「エッセンスを残して単純化したモデル」でシミュレーションできかどうかが胆なんでしょう。
別の観点というか全く異なる話ですが、NLP2012振り返りでの「コーパスがないとできないことと、そうではないこと」というモノの見方としては「再利用可能な形で観測結果がないとできないことと、そうではないこと」が気になります。
- 注意の過程と認知の過程
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認知科学において注意と認知がどういう位置付けなのかはまだ分からないのでこれから調べる所ですが、今回の参加目的の一つでした。大分昔に「注意」自体をどうやって実現するかということについて妄想を膨らませた事があって、研究テーマとしても提案してみたことあるんですが流石に先行研究踏まえなさすぎてボツ(正しい結果)。
フェロー授与式の「残されているテーマで取り組みたい課題」として安西先生が話された「情報が溢れている中で、何か問題解決しようとしたら、何故それに必要な情報を抽出できるのか? という根源的な課題はまだ解決していない」らしい。会長講演の冒頭でも出てきた【情報の取捨選択 [James, 1890](Principles of Psychology っぽい)、特徴統合理論 [Treisman & Gelade, 1980](Feature integration theory っぽい)、注意モデル化 [認知科学, 横澤] (このリストでの注意を含むやつ?)】か、論文で挙げてる【[横澤, 1994]、[横澤・熊田, 1996]】あたりを眺めると概観できそう。ただし、統合的認知でも触れたように、横澤先生(統合的認知)的には「単に脳計測した結果を観察分析するだけ」では要素還元的な分析に陥り、過程の理解に辿り着く前に満足してしまうと意味が無いというお話。
歴史的な背景含めて今年出版された「MIT認知科学大事典」を購入すると良さそうなんですが、1600ページオーバーで紙媒体出版されるとちょっと。「辞典」という側面からも電子媒体出版して欲しいし、実際使うなら「キーワード検索」しまくるだろうし。かといって自炊するのもちょっと。どうにかならないのかなぁ。。
- 錯覚の利用
- 錯覚自体のメカニズムを解明するという話ではなく、錯覚することを利用して実験計画に組み込むという事例がいくつか。例えば、ゴム製の腕と自分の腕を並べておき、本当の腕を目視できないように隠してゴム腕だけを見せている状態でゴム腕側に刺激すると「実際に刺激されているように錯覚する」というラバーハンド錯覚を利用して、触覚だけじゃなく温度感覚についても同期刺激であれば錯覚するという話。錯覚を利用するというのは考えたこと無かっただけに、そういう試み自体が面白い。
- こっくりさんや目標伝達にみる無意識的な認知
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こっくりさんを対象としてたのはO1-2の発表(proc.)ですが、大会全体として「無意識的に行われる認知が重要で、その過程をどう明らかにするか」という視点で話されている発表がいくつかありました。どちらも基本的にはターゲットとなる認知の具体例を想定し、そこで見られるであろう仮説を立て、その仮説をうまく説明するための実験設計し、実験観察するという「科学」らしいスタンス。
こっくりさんの例では「脳活動に同期現象・機能的結合が見られることが既に報告されていて、それを踏まえて同期背景として何が行われているのか」を問う話。実験設計としては知り合い同士でペアを作り、「今日の天気は?」といった確実に答えられる設問と、事前アンケートで「自分が知っているか否か」と「相手が知っていると思うか」について調査した上で実験中の設問を設定し、試行中の脳活動から比較したとのこと。
O2-1の目標伝染(proc.)では、多くの認知的処理が意識的コントロール範囲内にはないのだから「思考も無意識の影響から自由とは思えない」というスタンスで、一個人が目標を設定する際にも無意識的なプロセスが入り込むかを一例として検証した話。具体的には2種類のシンプルな物語を用意し、片方では衛生的な観点から刺身定食から焼き魚定食に変更するというストーリー、もう片方はそういう意図無しに焼き魚定食から刺身定食に変更するというストーリー。どちらか一方を読ませた後にダミー課題(恐らく数分)を行わせ、お礼として用意したクッキー&消毒液に対する行動を観察比較するというやり方。
- 人形遣いに見る恊働作業の達成
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サッカーとかバスケみたいなグループ競技でもたまに「言葉使わないし目視もしない連携」が発生しますが、そういうたまたまのものではなくてデフォルトで言葉や目視を使わない、つまりコミュニケーションレスに見える状況下で高度な恊働作業を実減じている例としてO3-1(proc.)とO3-2(proc.)では「文楽人形の人形遣い」を取り上げ、「阿吽の呼吸」のように評される恊働作業をどのように達成しているのかを探るという話。人形遣いは操作するために3人の連携が必要で、メインガイドに相当する主遣いを中心として、それを支える左遣いと足遣いがいる。他に直接操作には関わらない要素としては、脚本や床(三味線や義太夫節をこう呼ぶらしい)があるので、ストーリー的に先読みできるなら合図等無しに恊働作業できるはずだが、それらがない場合でも共同作業しているところがミソ。これを人形の動きや操作手の呼吸モニタリングすることでどのように同期が発生しているかをウェーブレット変換で位相差解析してみたらしい。モニタリングしている情報以外は見れないのが問題だけど、現時点でもいくつかの同期傾向を抽出できているとのこと。想像通りの部分としては、熟練者になるほど呼吸が安定(より周期的)し、動作と呼吸相が非同期的になるとのこと。
操作中なので身振り手振りも使えないし、言葉や目視も行わずに「恊働作業」を実現しているというのは確かに凄い。ただ、直感的には操作している「人形」を通してのインタラクションがありそうなんだけど、このあたりについては計測困難or実験設計困難という判断なのか見落としているのかが良く分からず。
- コミュニケーションスキルと足踏みの自発的同期
- O1-3の発表(proc.)で、対面状況下で(足踏みすることだけを伝えて)足踏みさせたとき、どのぐらい足踏みが合うかと自閉性傾向(コミュニケーションスキル)とに何らかの相関が見られるのではという話。音による同期を除外するためにヘッドフォン(ノイズ音)付けて、対面状況と非対面状況(片方に後ろ向かせる)とで比較すると差が見られたとのこと。特に、自閉性傾向の人でも「同期するよう指示するとできる」が自発的にはでてこない、らしい。
- 暗黙知・実践知の記述
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パターンランゲージ一種だと想像。例えばP1-17(proc.)では復興支援活動に携わっている人の話す体験談が「自分がどう感じたか」になりがち(それが体験談だとは思うが)で、後から新しく携わる人が具体的に何をどうしたら良いのかという点で直接的には役立てにくいという話で、そこを「物理的なモノ」中心に記述し直すことを試みているらしい。目的が異なるものを再利用性高めて使おうという点では面白い。
より現実的なエキスパートシステムとか、実際に現場で利用できるレベルでの知識の蓄積の仕方、と考えても良いかもしれない。専門家に相談したら良いという話でもあるけど、それも難しい状況があるわけで。
ということを考えたりしたけど、パターンランゲージを一緒に設計するというのは一つの解だろうと思います。
- 緩い対称性
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P1-22(proc.)ではマルチバンディット問題で緩い対称性(Loosely Symmetric Model, LS)を導入することで学習が効率良く進んだという報告。システム側には乱数的な挙動を除外しているようなので決定論的に動作してしまうのだけど、これで局所解に陥らずに効率良く学習できるというのは謎。著者的には「他と比べてどうか」をリファレンス参照して求めているから上手くいっているように見える、という解釈らしい。強化学習やってる慶留間くんの参考になるかしら。
他にも緩い対称性使ってる事例はあって、P4-9(proc.)では「確率的にはあり得ないモデル(認知バイアス)を人間は作ってしまう」ことを経験ベイズとLS組み込んでうまく説明してみようということをやってる話もありました。
今回に限らず「緩い対称性」の事例はたまに見かけるのですが、オリジナルではどういうストーリーでこれを提案しているのだろう。直感的にはロジスティック関数の方がうまく説明できそうな気がするけど。参考文献からオリジナルを探す限りでは因果性に基づく信念形成モデルとN本腕バンディット問題への適用らしいので後で読もう。
- 協調学習における学習のプロセスと授業形態?
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O2-2(proc.)によると、複数人で協調しながら学習を進めていく(グループワーク?)場における協調過程を説明するモデルとして、収斂説と建設的相互作用説があるらしい。収斂説では「協調学習を通じて複数学習者の考えが正しい解へと収斂するプロセス」を説明しているが、「正しい解を選んだ個々の学習者が用いているメンタルモデルには多様性が見られる」ことが観察できたので、それを建設的相互作用として説明を試みたという話らしい。
必ずしも「協調」という枠組みではないけれども、代表的な座学聴講スタイルの授業形態において反転授業という「授業の後半で課題のイントロ部分を実際にやり、残りを宿題とし、次回授業の冒頭で開設や質問受付する」に加えて、友人らで互いに教えあえる環境を構築できると「興味はあるけど具体的な行動には結びつかずにドロップアウトしがち」な人を具体的な行動に結びつけやすくなるという話がP2-10(proc.)でありました。こういう「積極的に取り組みやすい環境作り」はHow to Make (Almost) Anything (ほぼ何でもつくる方法) 2010年度 体験記や、FabLab、CoderDojo Okinawaでやってうことと共通している点なのかも(多分)。一方で、P2-10でも述べられていたんですが、助走期間というかある程度自分で走れるようになれるまでは手取り足取りやってからじゃないと、そういう環境を用意しただけではうまく機能しないというような話も。
P3-2(proc.)では、創作活動において「自省」だけよりは「他者作品の模倣課題」を課すことが表現内容/方法/その関係調節といったことへの意識の芽生えを促すことができるらしい。これも助走期間をうまくサポートするコツなんだろうな。変化球的な事例としてはP4-12(proc.)の即興ダンスにより「自分の身体は好きだ」「日々の生活で発見が多い」「他者を位置づける」「客観視」する傾向が強まったという話も。
- 一連の繋がりを持つと認知する過程?
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ツイート集合において特定ツイートを指定した時に関連しているツイートのみを抽出(談話抽出)しようとしている堀川くんのテーマに関連して、「繋がりを持つと感じる(知覚する)」といった、語や文・文脈の認知過程についての情報収集が今回のメインタスクの一つ。
P4-4(proc.)では、現在進行形で体験している出来事はそのままでは細切れなイベント集合のままで、「極め」に相当するアクションに遭遇することでそのアクションに関連したイベント(=そのアクションを理解するために必要な文脈となる出来事)群を紐付けることでエピソード体験抽出しているという話。協調している点は、「後日談として語るような場面でイベントを再構成/紐付けしているのではなく、体験しつつある認知経験の最中に形作られる」ということらしい。「アクションを理解するために必要となる文脈」を紐付けるために、その文脈をどう抽出or選択しているのかは良く分からないけど、体験最中に「それまでの経験を蓄積して構築したメンタルモデル」との紐付け自体が文脈抽出時の情報になっているのかな?
物語生成関連の発表も数多かったのですが、こっちは認知過程的話が含まれてなかったのでちょっと残念。自動生成や生成支援みたいな話自体も面白いけど、そっちは情報処理学会や言語処理学会でも聞ける話なので。
言語処理方面では、NLP2012の振り返りでの発話文の前提推定は前述の「アクションを理解するために必要となる文脈を紐付ける」のと酷似したタスクだと思います。少なくとも出力は同じで、認知過程的に同質なのかは良く分からないけど。説明生成に基づく談話構造解析や含意関係認識も関連タスクじゃないか(うまくいくモデルとしては類似点がありそう)と。IPSJ74の「ストーリー性を考慮したあらすじからの類似度計算(abst.)」や「知的ヘルプシステムのための意味を考慮したテキストマッチング(abst.)」、「共起ネットワークを用いたクラスタ性によるテキスト分類」も手続きとしては参考になる視点がありそう。
別観点では、IPSJ74での「マイクロブログ上の中心的話題(abst.)」や「複雑ネットワークからのキーワード抽出(abst.)」は、「極めアクション」の抽出処理として使えそう。
- メンタルモデル?
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メンタルモデルを直接対象としているというよりは、メンタルモデルを使った認知過程のモデリングについて理解を深めるための教材や授業についての発表がいくつかありました。例えばP1-20(proc.)ではメンタルモデルを簡単に設計&シミュレーションできるシミュレータを提案し、授業で触らせてみたという発表らしい。
「すべてはメンタルモデルという考え方から」を参考にする限りではメンタルモデル自体にもいろんな解釈があるようなのだけど、このあたりは何か整理されてる文献等があると良いのだけどちょっと見つからず。