日本認知言語学会 第13回全国大会 を振り返る #JCLA

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日本認知言語学会 第13回全国大会が終了して数日過ぎました。

記録のため、見つかる範囲で関連ブログ記事を整理すると以下のようになります。

@naltoma: レポート: [ セミナー | 1日目(ワークショップを含む) | 2日目(シンポジウム含む) ]

以上。
Web上で何らかの全校大会に絡んだ交流跡がないかなと「JCLA、認知言語」で検索してみたのですが、書籍展示してた人のツイートや、Artaという言語を調査しているらしいドクターさん英語構文研究している院生ぐらいで、他は見つからず。他は自分のツイート(その1その2その3)が少しfavoriate, RTされたり、たまにJCLAでツイートが拾えるぐらいかな。ということで私の観測範囲とは接点が少ない学会だったらしい。それを踏まえると、取りあえず突撃してくるというアプローチは正しかったな。

當間レポートでは、ワークショップとシンポジウムについては割と細かいメモを取ってますが、一般セッションについては基本的に質疑応答を中心とした備忘録がメインでした。この記事では、「聴講した発表」を話の種に個人的に感じた感想や考え等についてつらつらと書いてみます。

ちなみに、今年に入ってからの学会参加振り返り記事はこれが3回目。1回目が情報処理学会第74回全国大会(IPSJ74)で、2回目が自然言語処理学会第18回年次大会(NLP2012)です。ここ数年の主な疑問、例えば「言葉自体の意味に個体差を気にせず利用できるのは何故か。どうして言葉等を通してコミュニケーションできるのか。身体以外に何があれば言語を獲得できるのか」等についていろんな立場からの事例や主張を聞けてとても楽しいです。


<目次>
コーパスから事例抽出して認知的側面から{仮説を導く|仮説の妥当さを補強する}
 いわゆる一般的な科学的アプローチ(事例を積み上げて仮説を補強しながら検証する)を忠実に守って取り組んでるような発表が多かったように思います。ただし、予稿や発表では意図的に省略しているのかまだ途中段階だからなのかは分からないのですが、「多くても事例数が数十」止まりで、少ないケースでは10に満たないものばかり。
 せめて「このケースに合致するのはコーパス上x%程度」とか割合も示して欲しい気がするんですが、(一般発表で)私が見た範囲ではそこまでやってる人はいませんでした。一人は質疑応答時に答えてる人がいたので、査読付き論文用に意図的に小出しにして様子見しているのかなと想像しますが。
 あと、仮説に関与している事例をコーパスから探す方法については誰も話していなかったのですが、簡易的なテキストマッチングぐらいで基本的には手動だったりするんだろうか。

仮説に合致しない事例は反例か例外扱いで済ます? もしくは仮説自体に制約を設ける?
 事例を積み重ねて仮説を補強するという話ではどうしても「合致しない事例が出てきたとき」の対応が気になります。聞いた発表の中では「探してきた事例に対しては十分説明できるように仮説を修正する」人もいましたし、「全事例の中では存在割合が少ないレアケースなので例外扱い」で済ましてる人もいました。いろいろ対応は考えられると思いますが、基本はその先に見据えているゴールとの整合性から妥当な方を選択するしかないのかな。

カテゴリー化とプロトタイプ理論の違い
 現地で聞いてる時点では、カテゴリーとプロトタイプというのが対比される形で使われているというよりは、カテゴリーの一種でデフォルトが決まっているのがプロトタイプという感じで聞き取っていました。
 カテゴリー化プロトタイプ理論を参照する限りでは後者は「典型事例とそれとの類似性によって特徴づけられるという考え方」らしいので、それほど間違った解釈ではないようなのですが、どちらかというとその後に補足されてる「境界は明確でなく、それぞれ典型的なメンバーと、非典型的・周辺的なメンバーをもつと考える」という点が重要っぽい。言い換えると、「未知の状況に遭遇した場合、典型的なメンバーとして考える傾向が強い」ということ。

[認知科学からの視点] 連続的に推移する世界はことばによって離散的に分節され、カテゴリーを発見・想像・修正を繰り返すことで多層的かつ重層的に捉える
 シンポジウムで認知科学専門の今井先生が話されてた内容を一文にまとめると、上記のようになると感じました。認知科学寄りの知識が不足し過ぎているので、暫く今井先生関連本とか漁ってみよう。
 上記のまとめで気になるのは、結局の所「ことば」を使って考えを表現したり、コミュニケーションしたりしている訳ですが、恐らく「ことば」を単体で考えてもうまくいかなさそうだという点。ヒトの「ことば」が「ヒトによる分節」という意思・意図を含んだものである以上、独立したものではありえない。そこにどう取り組むかという一つのソリューションが「場の言語学」ではあるんでしょうけど。

[認知神経学からの視点] 視覚情報では認知できなくとも非視覚情報では認知できたりすることから、入力モダリティ毎に意味システムを構築していると考えざるを得ない
 シンポジウムで医学・認知神経学専門の大槻先生が話されてた内容をまとめると上記のようになるのかな、と。例えば意味野の機能障害といってもいろんなレベルの障害があって、意味野にアクセスができない状態だと「たまにアクセスできることがある」状態では普段通りに振る舞えるが、「機能的な障害」だと例えば「りんご」があたかも存在しないように「意味」が喪失するらしい。
 変わった所だと「自宅にあるテーブルはテーブル」と認識できるけど、新しく見るテーブルはそう認識できないとか。これはプロトタイプ理論的には「デフォルトに相当する抽象化された概念はあるけど、そこからの派生を探そうとする」ところに障害がある状態なのかな。複数の入力情報から意味野への接続自体が多層的かつ重層的になっているので、どのリンクにどういう障害が起きるかによって症状が分かれるということではあるけど、一方でフェイル・セーフフォールト・トレランス等の柔軟な構成になっている側面もあって観察するだけでも大変。生きてるシステム(動的なシステム)だから尚更観察困難だとは思うけど、一方で、認知を身体活動を伴った環境との相互作用の枠組みで捉えないと解釈困難という点では認知言語学でも対象は同じ生きてるシステムな訳で、どちらも複雑系科学的な意味での「システムを構成する各要素が系全体としての挙動にどう関係しているか」を観察していく必要がある訳だ。

[場の言語学からの視点] 身体を通した自己の二重性と即興劇モデルに基づく共存在の深化(身体と身体、身体と環境との相互作用)が主体的な意識を形成し、コミュニケーションが産まれて言語へと発達した
 ワークショップで場の理論と認知言語学を統合しようとしてる先生らの内容をまとめると、上記のようになると感じました。自己組織化とか複雑系科学寄りの話は選書でも紹介した井庭先生の「複雑系入門―知のフロンティアへの冒険」を、言語未発達時に他者の行為を見ただけで理解するための説明としてでてきたミラーニューロンについては同じく選書した「ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学」を勧めるとして、場の理論/自己の卵モデル/即興劇モデルについては清水先生の「場の思想」を参照すると良いらしい。やや古めの書籍が多いけど清水先生関連本も漁ってみよう。
 キーワードがあれこれ出ていますが、工学的には「ミラーニューロンを有する身体」を用意して、「人間に限りなく近いインタフェース」を持たせて人間を含む実環境で相互作用できるようにしてやれば、「主体的な意識」を形成して、「言語」を体系化していくのだろうか。ちなみに個人的には「身体」は仮想的なものでも大丈夫だというスタンスなんですが、少なくとも「自己の二重性(卵モデル)」を有する必要はありそう。
 この「場の言語学」の話を、個人的にはここ数年興味を持ってるキーワードが組み合わさっていくストーリーとして聞くことができてとても楽しかったのですが、一部はまだ納得いってません。これは私の勉強不足が大きな理由かもしれないけども。

[対話言語学] 音声言語に限らず手話にもプロソディがあり、プロソディの有無で内容理解度は大きく異なる
 NLP2012の市川先生による招待講演「対話言語」では言語を発話する際に生じる情報「プロソディ」を中心に、発話されたことばを理解するための負担に影響していることをいろんな事例で検証しているらしい。プロソディ自体は言語毎にどう発現するかは異なる(多分、同じ言語でも方言みたいなレベルでの差もあるんでしょう)ようだけど、例えばリズムや音程差として現れ、プロソディの有無と内容理解度について検証した一例では「標準音声で理解度80-90%と同じ文章を、プロソディ無しで音声合成した音声では理解度40-50%にまで落ちる」ということがあるらしい。つまり、対話言語には「テキスト」という側面だけでは把握できないコミュニケーションがあるわけだ。前述の「場の言語学」でいうところの「身体を通した人や環境との相互作用」や「対話の共同活動」という観点が不可欠、と。

[その他の分野] パターン・ランゲージという視点
 認知科学/認知言語学/認知神経学/対話言語学では、「普段何気なく行われているコミュニケーションって実はいろんな側面が絡んでて何をどうやって理解しているのか把握しきれていない」というような所に焦点を当てて分析しているというような印象が強い(個人的な主観です)のですが、これに対して「パターン・ランゲージ」では「創造・実践の経験則 を「パターン」という単位にまとめ、それを体系化」することに焦点を当てているようです。例えばプレゼンテーション・パターンでは一つのパターンを「状況、問題、フォース、解決、アクション、結果」という項目で記述しており、これにより例えば「同じことばで話してても話が食い違ってしまう。その違いはどこにあるのか」を区別しやすくするための言語として「パターン・ランゲージ」を提唱しているようです。講義資料もこことかいろいろ公開されていますので、興味がある人は覗いてみよう。
 経験則的な知識をパターン・ランゲージという形で整理するというのは、「再利用しやすい形に残す」ための方法論とも言えます。これを言い換えると、記録として残す事が困難な知識の多くは「徒弟制度/OJT」のような形で「体験することで多層・重層的に学習者が体系化していく」ことで受け継がれているかと思いますが、この多層・重層的に解釈していく部分を「言語化」することで見通し良く理解しやすくなるだろう。そのための方法論が「パターン・ランゲージ」だと解釈しています。普段の「対話」とは異なる状況ですが、相手に理解しやすくするための言語としてどう組み上げていくと紐解きやすくなるかという観点を、認知科学/認知言語学/認知神経学/対話言語学で分析する際の観点として役立てられないかなー。そういう観点がゼロだという意味ではなく、研究者間で観点の盛り込み方の差が大きい(ので全体像が見えにくい)という意味で。

という感じであれこれリンクさせながら長々と書き連ねましたが、レッツ・マッピングとか書いたので自分でもやってみている次第です。