No. 182/1090 Index Prev Next
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Subject: Re: ソフトウェアの法的保護(立法論)
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From: cal@host.or.jp (SASAKI Masato)
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Lines: 92
Date: Wed, 21 Jun 2000 21:35:46 +0900
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佐々木将人@函館 です。

>From:"yamada" 
> Date:2000/06/20 23:38:33
>Message-ID:< 8invjm$aak$1@nwms2.odn.ne.jp> 
> 
> 所有権は元々絶対的な権利であったのを、社会との調整のために譲歩しているだけだ
> が、著作権は、社会の利益のために便宜上作られた権利に過ぎないというような考え
> とも取れるのですが。財産権全般を社会の利益のために便宜上作られた権利だと考え
> るのなら好き嫌いは別として理解は出来ますが、特定の財産権だけについてそういう
> 捉え方をされるのは、ちょっと理解に苦しみます。もともと、所有権の絶対の原則と
> いうものからして、社会をより幸福にするために「便宜的に」考え出されたものなん
> じゃないでしょうか。

この点については「法史学」
(もしくは法学概論の近代市民法の成立のあたり)
の文献を読んでくださいとしか言いようがありません。
現代の通説的見解は
「所有権絶対」「私的自治」「過失責任」等については
近代法思想の根源をなすものとして、
いわば所与のものとして議論のスタートにおいています。
(例えば我妻栄「民法総則」岩波書店の9項
 内田貴「民法I」東京大学出版会p307以下)
所有権とほかの財産権とを並列に考えたり
財産権としてひとくくりにして考える時点で
近代法思想を採用していないと言わざるを得ませんし
まして近代的所有権成立後に確立された財産権は
そのほとんどが近代的所有権を制限する性質をもっているのに
(実際気の効いた著作権法の本では
 著作権は所有権を制限する性質を持つことをさりげなく書いています。)
その点を無視して
「そもそも法や権利は便宜的なものだ」
というのであれば
法哲学の問題としてはおもしろいのでしょうが
とても法解釈において議論ができるとは思えないですし
立法論としてもこれだけ議論の基盤が違いすぎると
議論は成立しないと考えます。

> > > 著作権というのは、結局のところ、それを使うことによ
> > > る利益を、他人に分け与える権利ではないかと思うのですが。
> > 私はそのようには考えていません。
> > 現行著作権法1条について私は変える必要を感じていませんし
> > 上記の主張は「これらの文化的な所産の公正な利用に留意しつつ」
> > 「もって文化の発展に寄与する」の文言を軽視するもので
> > 私は賛成できません。
> 私は、著作権法による保護の理由や目的に言及したつもりはないです。文化の発展に
> 寄与するために、「それを使うことによる利益を、他人に分け与える権利を著作権と
> して、一定の範囲内で認めている」と続けても特に問題ないのでは?

問題大ありです。

他者が生み出した著作物を利用すること自体は
各人の固有の利益だからこそ
著作物が単に財産権の対象物なのではなく「文化的所産」になるのです。
しかし各人の固有の利益を無制限に認めると
著作物を生み出す著作者の利益が無に帰すこともあるのだから
そのバランスの上に妥当な解決として
「著作権」を認めているというのが著作権法の建て前です。
そしてこの建て前は
本来著作権が著作物製作という行為に付随して発生する
法以前の固有の権利であるならば
著作権法第5款(第30条以下)の制限について
「著作権が行使できない例外」と解さなければならないはずなのに
たいていの文献ではその考え方はむしろ排斥され
「これらの制限の部分を除いたものこそが著作権である」
(私の記憶に間違いなければ
 少なくとも半田・加戸両先生は間違いなくこう書いていたはず。)
とされていることに現れています。
これは著作権が固有の権利ではなく
法で設定されてはじめて認められる権利だと解さなければ
理解不能です。

#著作権自体は制度的保障ではありませんが
 制度的保障と権利の違いを説明する時にも参考になる思考です。

そのような権利を

> 現実に「著作権」として認められてきた権利の本質的部分は、「それを使うこ
> とによる利益を、他人に分け与える権利」と解釈しているだけです。

と解するのは、
「著作権者以外も他者の著作物利用する利益を有する」
という点を否定するもので問題であり
私は採用することができません。

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cal@host.or.jp  佐々木将人
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磯脇やそよさんにルフィミアの声で
「まさと先輩!」って呼ばれてみたい!?
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