No. 910/1090 Index Prev Next
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From: Hideaki Iwata
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: 30条と49条 (
罰則関係)
Date: Tue, 26 Sep 2000 02:12:44 +0900
Organization: WAKWAK Internet service
Lines: 172
Distribution: fj
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References: < 39C9DB6D.DA59E4C3@nifty.com> < 20000923023145M1wQT1me=uy@news.nifty.com> < 39CCCE14.304D5136@nifty.com> < 39CCDF1E.75695224@af.wakwak.com> < 8qng7a$5in$1@pin2.tky.plala.or.jp>
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ひで@自宅、です。
Nakagawa wrote:
> 中川@つくば です
> まずは岩田さんが、報告書の主張の根拠となる説を紹介なされては
> いかがでしょうか?
不可能と判っていることを人に要求するのは止めましょう:-)
私が報告書を書いたわけではありません。これは自明です。
それ故に、審議会がいかなる根拠で先の報告書の文面を作成したのか、は、
その文面から以外に考えることはできません。だから、仮に中川氏が同報告書
の文章からその根拠を見出せなかったとするなら、私も見出すことはできません。
類推することは可能ですが、私は超能力者ではありませんので、あくまでも推測
の粋に止まります。
別記事で既に述べていますが、その根拠を丹念に調べる方法としては、審
議会の議事録に当たる、というのが考えられます。
これは多分、非常に有力な「根拠の類推」手段でしょう。ただ残念なことに、
Net上には当時の議事録は公開されていません。
# 最近の審議会議事録は文部省のWebに公開されてますが。
しかし、多分、文部省に問い合わせれば議事録の閲覧は可能かと思われます。
このことを既に述べた上で、「私はプロパーじゃないのでそこまでの調査に
はまだ手が回ってません」と正直に述べています。
ただし、その議事録の中で中川氏が求めている様な「根拠」が見出せる保証
はありません。
従って最も確実な調査方法は、当時の審議会メンバーや事務局を担当された
方複数にインタビューをして、当時の様子を詳細に調べる、でしょうね。
ただ、そういった作業を行う余裕も私にはありません。
従って、審議会報告が根拠とした説は、私には不明です。
しかし、報告書が答申されている事実は、揺ぎない現実です。その現実に基
づけば、という意味で、再三再四、「報告書によれば」という文言を使って
います。
繰り返します。不可能なことを人に求めることは止めましょう。
> 今、岩田さんは、その通説を、単に紹介なされているのではなくて、
> それが正しいものとしてご自分の立論に組み込んでいますね?
違います。従来、岩田説と述べていたのはいわゆる「中間層存在否定説」です。
この説に基づけば、「私的使用の範囲内」と「公衆」のいずれの集合にも存在し
ない人は存在できないので、fjで知り合ったばかりの二人が「私的使用の範囲内」
でない以上、自動的に「公衆」になります。
従って、49条を適用することで、その二人が行う貸与は不法行為、となります。
その中に、著作権審議会報告が登場する余地はありません。
# 審議会報告は、30条自身が私的使用目的以外の複製物の使用を違法行為として
# いる、と述べているのであって、49条は登場していません。
その上で、私の説はあくまでも「仮説」であることを、何度も述べています。
また、その説を人に強制したこともありません。
しかし、審議会報告書説に関して言えば、審議会の性質を考えた上で、同説の存在
可能性は十分に考慮しなければいけない、と主張しています。
この二つをごっちゃにしてはいけません。(区分できないとしたら、私は悲しい:-)
> 一旦組み込んだら、それは岩田論の一部なのです。
> 不明確な所を聞かれたら、それに答えるべきではないですか?
> それは、通説の要約であっても良いし、岩田論として新しく立てても良い。
ということで、思い込みとは一切関係ありません。
今問題になっている「権利の制限」解釈論において、私が提示している考え方は、
コンメンタールや田村先生の著書、それに(私は原著を確認してませんが、
コンメンタールが参考にしたと明記している)加戸先生の著書に記されている考
え方です。また、以前に半田先生の著書をもって同様の解釈をしている、と述べ
ています。それに対しABC氏は、作花先生の著書を元としています。
従って、両者ともきちんとその論拠を示しています。
お互いに、該当部分の引用を行っています。
あとは、いずれの識者の言うことを信じるか、という問題であり、ある種、非常に
パーソナルな問題となります。つまり、己が信じる主義の問題になる訳です。
# この辺が、物理学と違うところなんでしょうね。なんたって実験による証明が
# 非常に困難な学問分野だから:-)
# 私の専門である認知科学の世界では、自分が考えた理論に基づいて作成した
# プログラムなりシステムなりが、従来存在するモノよりも効率が良かったとすると、
# 己の理論は有力、あるいは有用である、って結論を導出できるけど、法律学では
# 証明の為の実験、ってのは無理だからなあ。できるとしたら思考実験のレベルまで。
# それとて、理論に矛盾がないかを検証する手段でしかないんだから。
> 説を参照すれば、色々な疑問が氷解するのではありませんか?
> たとえば岩田さんは「特定の少数の親友」のような言葉に対して、
> 特定とはなにか、を論じられていますが、
> 「特定」の意味も特定せずに説が成り立つと思いますか?
> 通説を唱えた人にとって、充分に明確な言葉なのではありませんか?
.....
著作権審議会報告に基づけば、ってちゃんと一度は明記していますが....
きちんと読んでください。
# 坊主憎けりゃあ、状態ですね、これじゃあ。
> 思うに、岩田さんは、条文解釈と言う法律学の手法に魅惑され、
> 学説の結論・要約の言葉も、条文解釈の手法で研究しようと
> なさっているのではないでしょうか?
違います:ー)
> Richiter ABCさんとの議論で私は、
> 法律家が、条文解釈の際には、まずは条文の文言から出発し、
> 背景知識でしかない立法趣旨を理由として恣意的に解釈を曲げることに
> 実に慎重であるという印象を持ち、感銘しました。
> それは、法律によって何かを強要される国民にとっては、
> 当然のことのようにも思えます。
あのー、法律を作っているのもまた、我々主権者たる国民なんですけど....
その、「政府(国家権力)」と「国民」の対立構造、ってのは止めませんか?
「法律によって何かを強要される」こともまた、国民自身の選択によって成されて
いるとする現代民主主義においては、法律は国民生活と対立するものではありませ
ん。むしろ、国民生活の中で必要とされるルールが法律として整備されている、って
考えるのが妥当です。
> でも、通説を説く学者や、それを紹介・引用する人が、
> 学説の結論部分の文言を書くときに、
> 条文解釈の手法に耐えるものにしようと
> 意識して書いているとはとても思えません。
実は、あなた自身が己の願望によって「結論をゆがめよう」としている可能性は
検討する必要はありませんか?
> 物理学の文献を見てきた目からすると、
> 審議会報告書の該当部分も、多くの解説書の該当部分も、
> 説の論拠が書かれていない限り、説の紹介でしかなく、
> いわば二次資料です。
> 一次資料に遡って検討されることをお勧めします。
...........
端的に言えば、物理法則は人間が作り出したものじゃないけど、法律の条文は人間
が作り出したものに過ぎない、ってのが結論ですね。
特に著作権は、それ自体が無体財産であることは自明ですので、非常に人工的な
権利であることは全ての解説書に明記されています。人工的な権利ゆえに、大いなる
注意が必要だ、とね。
# 著作者人格権すらも、実は自然権ではない、とするのが一般的な通説である訳
# ですから。
私自身は、学部が経済学で院が情報科学ですから、実は文系と理系両方の教育を受
けています。また、文系とか理系といった区分の仕方は嫌いな人間です。科学の前
では両者を区分することこそが非科学的だ、っていう主義を持っています。
そのことを明記した上で敢えて言います。科学として見た場合、法律学と物理学は
同一の要素をもっています。しかし、その中身は異なっています。だから「物理学
ではこうだから法学もこうあるべし」ってのは、時には正しいし時には間違いとな
ります。そのギャップをいかに埋めるか、ってのもまた、「科学的思考」の一翼を
担っています。いずれにしても、複数の解説書を自らの力で読むことをお勧めします。
もう一つ、何度も書いてますが、我が国の行政組織において審議会が果たす役割と
いうものが国家行政組織法によって決められています。また、平成3年報告に基づいて
文化庁は著作権法の改正案を提出し、国会で審議された後、可決・成立しています。
それによって現存するのが30条2項です。
そういう意味では、平成3年報告書は「一次資料」となります。
# 平成3年報告書は昭和56年報告書の結論を拝借していると明記しているから、
# そういう意味では昭和56年報告書は零次資料、ってことになる:-)
法律は人間が生まれる前から存在した訳じゃないし、普遍なものでもありません。
著作権法はここ数年、毎年の様に改正されています。私が今年の1月に書いた論文で
明らかにしてますが、その改正理由は大きく二つに区分できます。
一つは国内社会からの改正要請、もう一つは国際条約への加盟や批准に向けた国内
制度の整備、です。
こういった事情も、解説書によっては詳しく述べられています。複数の書籍をまずは
自分で読んでみましょう。その上で、なぜこの解説書はこういった結論を導いている
のかを自分で検討してみましょう。それが「学問」です。
# だからこそ、私は作花先生の著書に目を通す義務がある訳:-)
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