No. 1005/1090 Index Prev Next
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From: Hideaki Iwata 
Newsgroups: fj.soc.copyright
Subject: Re: Re: Re: 30条と49条 (罰則関係 	)
Date: 03 Oct 2000 14:02:45 +0900
Organization: Center for Information Science, Wakayama University
Lines: 190
Message-ID: < m3snqezfd6.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp> 
References: < 8qooh6$5p$1@neelix.mmtr.or.jp>  < 20000926205645'WzvQH4gCIi@news.nifty.com>  < 8qqedt$kb3$1@neelix.mmtr.or.jp>  < 8qv6nb$oeg$1@bgsv5905.tk.mesh.ad.jp>  < 8qvja7$inu$1@pin2.tky.plala.or.jp>  < 39D4AE27.A7D8E6AA@af.wakwak.com>  < 8r3it2$s8h$1@pin2.tky.plala.or.jp>  < m34s2v27h7.fsf@dolphin.eco.wakayama-u.ac.jp>  < 8ra31i$kkv$1@pin2.tky.plala.or.jp> 
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ひで@和大、です。
どうも議論が噛み合わない。

"Nakagawa"  writes:
>  中川@つくば です

>  その説明は、私には一貫していて説得力があり、
>  それに対する反論を自力で作り出すのは、法律分野外の私には無理で、
>  Ritter ABCさんの説明に弱点・誤謬が見つかるとすれば、
>  もっと説得力のある説明に出会ったときだろう、と思っています。

うーん。
その前に、私にはデフォルトだったことなんですが、ひょっとすると
多くの人が知らないのではないか、と思い始めた事実を提示します。
昭和56年当時、今我々が認識しているところの「貸与権」や「譲渡権」
は著作権制度上、存在しなかった、ってことは御承知されてますか?

譲渡権が条文上に登場したのは1999年(平成11年)の改正時ですし、
貸与権が登場したのは1984年(昭和59年)5月25日成立、翌年1月1日
施行の「著作権法の一部を改正する法律」からです。

実質的な貸与権については、1983年(昭和58年)12月2日に成立し、
翌年6月2日に施行された「商業用レコードの公衆への貸与に関する
著作者等の権利に関する暫定措置法」によって制度化されています。
この法律はわが国の著作権制度の歴史上唯一と言っても良いぐらい
稀な法律でして、議員立法によって成立しています。ただし、同法
は上記した1984年改正法の成立に伴って廃止されています。

従って、昭和56年の報告書が答申された当時、今我々が考えている
「譲渡権」や「貸与権」は、著作権としては明文化されていなかった、
って事実をまずは確認しておきます。

# 映画の著作物における頒布権は既に存在しています。念のため。

次に、なぜ上記暫定措置法が制定されるに至ったのか、について、
当時の社会情勢を調べてみて下さい。私個人は、その頃は中学生
になっており、新聞等によっておぼろげな記憶があります。
昭和56年頃っての国際情勢ってのも重要です。ベトナム戦争後の
アメリカ経済の衰退、日本の対米貿易黒字拡大、自動車や半導体
産業におけるアメリカの活力低下といった中で、アメリカがその
発展の源を知的財産権へとシフトしていった時代です。

# デトロイトで日本車打ち壊しデモンストレーションが行なわれ
# たのはもうしばらく後ですが。

そういった国際情勢の中で、わが国の著作権制度そのものも、大き
な変革の波に洗われていっています。そういった変革期にあった、
という事実はぜひ認識すべきです。

>  正確には、説明文に出会っていない、です。ここで再び岩田さんに、
>  
>  > Nakagawa wrote:
>  > >  中川@つくば です
>  > >  まずは岩田さんが、報告書の主張の根拠となる説を紹介なされては
>  > >  いかがでしょうか?
>  
>  と提案しても、
>  
> Hideaki Iwata wrote in message < 39CF878C.E1A2CA85@af.wakwak.com> ...
>  > ひで@自宅、です。
>  > 
>  > 不可能と判っていることを人に要求するのは止めましょう:-)
>  
>  なんでしょうか?
>  紹介もされていない説を、信じるも信じないもありません。

いや、だから、私はその前に「報告書は報告書自身で完結している訳
だから、仮に中川氏が見つけられないとしたら、中川氏を納得させる
ことができる様な説明を私が同報告書の中から見つけ出すことはでき
ない」と言っている訳です。

判りますか?自分で発見できないとしたら、それは、ある主義が発見
を阻害しているか、はたまた実際に存在しないかのどちらかです。
私は、あなたの主義を変革させることはできません。また仮に、実存
しないのだったら当然、存在を指摘することもできません。
だから「不可能と判っていることを要求するのは止めましょう」と
言っているのです。

# 論拠が記載されていないことを肯定しているのではない。

>  でも、岩田さんは、審議会報告書の説(というか、説の結論)
>  (ここでは事後目的外使用に著作権が及ぶという説)
>  は通説であろうとおっしゃってますよね?
>  言いかえれば、多くの法律学者が共有する説であるとお考えなのでしょ?

正確には、「共有する義務があると信ずる説」ですね。

>  ありゃ、岩田さんの言う「通説」とは、
>  「政治的に有力な説」のことなのですか?

そうだと言い続けているんですけど.......

>  いままで、いろいろ人の投稿に対して「通説とは違います」
>  のような反論をお書きになっていたように思いますが、
>  あれはみんな、「政治的に有力な説とは違います」の意味
>  だったんですか?

法律は、わが国唯一の立法機関である国会において審議され、可決
成立します。それ以外の手段で法律が成立することはありません。

法律学者は、ある面では既存の法律の問題点を指摘するでしょう。
また、新規に作成される、あるいは改正される法律に対し、その理念
なり意義なりを議論の中から提示することもあるでしょう。

それはそれで素晴らしいことです。既存の法律に対しても、裁判の場
で、ある学説が判断の基準として採用されることはしばしばあります。
代表例としては尊属殺人です。刑法の該当条文は違憲であるとの最高
裁判例が示され、その後長く、条文自体は存在し続けましたが、実質
的な効力は否定されてきました。先日の刑法改正でやっと、条文が削
除されましたが、これは一種の「政治現象」だった訳です。
そういった政治現象と、法律学上の通説とは、無縁であり得る、とい
う実例ですね。

# あ、多分、法律学者の中には尊属殺人条項は憲法違反ではない、
# って主張し続けている人もきっといるでしょうね:-)

で、今回のケースは同様に無縁と言えるほどの事実が提示されていま
すか?最高裁判所で違憲判決が出てますか?私はそういった事実は知
りません。

繰り返していますが、平成4年改正案に対し、国会でどの様な審議が
なされたのか、までの調査は行なっていません。従って、著作権審議
会が提示した論の趣旨に反した政府答弁がなされているのならば、
私は自説を撤回する用意があります。

しかし、そういった事実が見つかっていない以上は、著作権審議会が
提示した論に沿って改正案が作られ、それが可決成立している現実を
直視する以上、審議会報告の説が「立法上、及び行政上、認められた
説だ」とみなす以外はないでしょう?と言っているだけです。

それに対し、法律学者が反論するケースもあるでしょう。
例えば、他の法律と矛盾する、とか、憲法に違反している、とか。
また、そういった議論は大切でしょう。仮に、この条文が裁判の場に
もたらされたとすると、裁判官は双方の主張を聞いた上で、法律上ど
ちらが適切な主張であるかの判断を下すでしょう。

しかし、そういった裁判例が存在しない以上は、立法趣旨に則った
判断をしましょうよ、と言っているに過ぎないのです。
現実の裁判の場では、裁判官は時として立法趣旨をその判断の拠り所
とすることもしばしば発生する訳ですから。

>  では、岩田さんにとっての著作権法の議論とは、
>  「もっとも政治的に有力な説がどれであるかをきめること」なんですか?

だから、著作権法は神が与えたもうたものじゃなくて、人間が、立法
の場で作り出したものだ、って言っているんです。

>  いやいや、説の内容に立ち入らずに、結論だけで
>  話を進めていらっしゃるようだから、むしろ
>  「もっとも政治的に有力な価値判断がどれであるかを決めること」
>  なのかな?

ある意味ではそうですよ。
だって、法律ってのは唯一の立法機関である国会によって審議され、
可決・成立する訳ですから。
その国会を構成する人たちを選挙によって選出するのは、我々主権者
たる国民であって、「法律学者だけ」ではないんですから。

# もちろん、法律学者に日本国籍があれば彼らも主権者の一人だけど、
# one of them でしかない訳でしょう?

そういった意味で、著作権制度の本来あるべき姿を、たとえば 
fj.soc.copyright で議論することは有意義なんです。立法論としてね。

しかし、それと現行制度の解釈論とは切り離す必要があるんです。
己の願望を解釈論に織り込むことは、実はその先に続く立法論の議論を
する上で、非常に厄介なことになるんですよ。

# 現実をゆがめている訳ですから。

それと、繰り返し述べていることですが、法律学者が書かれた書籍の中
で、例えばABC氏が主張する様な説を私は見たことがありません。
私が見た書籍では、この問題について述べたものはありません。
公衆要件についてもそうです。

ある意味、彼らはこれら問題に対して議論を避けている様にも私には思
えます。あるいは、今話題となっている問題は、法律学の立場からみれ
ば些細な問題なのかも知れません。その辺に対する考察は、私はまだ
終っていませんので、主張は控えます。

しかし、この問題に対して唯一正面から論じている公文書としては、先
の報告書以外に私は発見できていません。
他の文書を発見されたのなら、ぜひ御提示下さい。私の勉強も一歩前進
します。

結論:
現実と、本来あるべきだと考える姿を切り離して議論しましょうよ、
ってのが私の主義な訳です。

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