「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」みたいな話。多分。
月曜日, 8月 3rd, 2015タイトルはアラン・ケイ先生の有名な言葉。
いろんなものがwebで情報共有されるようになったことでエンドユーザへのリーチ力が強いと思われてたのも束の間。文字通り「ワンクリック程度のコスト」で済ませられるむ仕事が増えるに連れ、玉石混淆どころか衆愚な側面もより一層強調されやすい世の中になり。そこから逃げようとSNSのようなクローズした場所でのやり取りが増え。それでも実世界での対面やり取りも無くならず、もしくは一層「対面じゃないとやれないこと」にシフトしつつ。この先一体どうなるのかと嘆息するかそこに夢見て飛び込むかはその人次第な訳で、やろうと思えばやれることが増えたという世の中自体はとてもハッピーでしょう。
一方で情報が多すぎることの弊害があることも一つの側面としては事実で、例えば就職活動絡みのイベントがここ5年ぐらい?ずっとうなぎ上りに増加し続けている中、まとめサイト(意味無く伏せてみる)で検索するにしても「ずらっと膨大に検索結果が並ぶ様」を見せられると見る気が失せるというのは理解できます。「これ作った人馬鹿じゃね?」と。ここ最近は対抗馬よろしくアンケートによるマッチングシステムとかも出てきてますが、それがどのぐらい宜しいのかは双方の情報の質に強く依存するでしょう。個人的には一つ目の就職先選択にそこまでコストかけるぐらいなら他のことにコストかけた方が人事も就職活動者も嬉しいだろうにと思うけれども、あんまりそういう風に見えない(用意された環境でやる)人が圧倒的多数のように見えます。単に多数決するならそうなるだろうなというのは理解できますが、もうちょっと「おかしくない?」に対してアクション起こそうと思う学生を増やせると嬉しいかな。先人の知恵(歴史)に学ぶのも良いし、リーンスタートアップするも良いし、とにかく何かしらアクションに繋がると嬉しい。
指導する側(自分自身)へのツッコミの意味も込めて。