理解するってどういうことだろう?の*一先ず*の回答編。
人間同士であっても「理解してるかどうか」なんて確かめようがなかったりする。授業で話した内容をどのぐらい理解しているのかを計測するためにクイズ、テスト、レポート、口頭試問等あれこれやったりしますが、基本的には「ある質問の仕方に対してどのぐらい納得できる回答を出せるか」ぐらいをチェックしているのであって、本当に理解してるかどうかなんてわかりません。尋ねる内容の質と量を改善することでより良い評価方法を構築することはできるだろうけども、内容自体は発展し続けるので「やり尽くされた学問」でもない限り100%の評価は無理というか無謀。
じゃ、どうしよう。問い方を工夫してみたらどうか。
旧「理解するってどういうことだろう?」
新「何ができたら理解してるといえるだろう?」
この問い方なら、「できること」を列挙し、1つずつ実現してみることができます。実現できたのなら、そこではじめて「何が足りないか」をテストしやすくなる。足りない何かが見つかったなら、それを実現する方法を考えよう。そうやってできることを1つずつ増やしていけば、いつか十分に「理解してるようにみえる」かもしれない。これは結果として、最初の問に答えることに近づけているのではないだろうか。イコールではないだろうけど、今度はその工学モデルを相手にすることで人間相手にはやれなかった検証方法を適用することもできるかもしれない。
と、こんな具合にやれることが増えていくので、私なりの*一先ず*の回答は「まずは作ってみる。少しずつできることを増やしていく」でした。
P.S.
こういうやり方は、構成論的アプローチと呼ばれています。