沖縄工業インターンシップ受け入れ2日目
水曜日, 9月 12th, 2018[ 1日目 ]
2日目は前日の振り返りから始まり、時間の取れるタイミングで教員や学生研究室、自習室を訪れつつ、簡易LTを含む懇談会を通して真のie(?)を堪能してもらう形になりました。教員インタビューはもっと数を増やしたかったのですが、出張等で不在の先生が多くて1,2名ぐらいしかやれてないようです。ごめんなさい。
[ 1日目 ]
2日目は前日の振り返りから始まり、時間の取れるタイミングで教員や学生研究室、自習室を訪れつつ、簡易LTを含む懇談会を通して真のie(?)を堪能してもらう形になりました。教員インタビューはもっと数を増やしたかったのですが、出張等で不在の先生が多くて1,2名ぐらいしかやれてないようです。ごめんなさい。
今日から3日間の日程で、沖縄工業の高校生6名が大学へのインターンシップに来ています。夏休み期間ということもあって授業がなかったり、先生や研究室配属組は学会出張等で不在の可能性も高いやらで「何をやってあげられるか」を危惧している部分もありましたが、皆さんのお陰でなんとかなりそうです。
今日終了した1日目は、予定していた模擬授業と計画立案、そしてゼミ見学や教員・先輩らへのインタビューも一度ずつはやれたのかな。予定時間を1時間近くオーバーしてるし、ほとんど休憩もとっていないはずですが、元気ですね。楽しんでもらえてるなら何よりです。
中日に当たる明日は懇談会を用意してみましたが、ちょうどいい塩梅になりそうです。
3/3: てんかんの見立てで治療開始
バルプロ酸ナトリウム徐放U顆粒40%「アメル」を服用しつつ、数ヶ月ぐらいに一度脳波検査しつつの経過観察が続いてます。その2回目の検査結果が良くも悪くも「服用後も変わらず、てんかんに類似」らしい。
今回はもともと服用量が少なかった(発作が日常的に現れてるわけでもないし)ということもあり、量を少し増やしてまた経過観察することになるらしい。これまでは600mgだったのが、明日からは800mgに増量です。体質と用量によっては急な眠気があるらしいですが、昔のこと鑑みるに多分眠気の方は問題ないんじゃないかと。
修論最終発表会
8/22(水), 13:00-14:00, 工1-508会議室発表者
・阿波連さん: 文章からの特有情報と汎用情報の抽出
・アンドレアさん: “A Study on Mathematical Programming Formulation for Scheduling Problems based on Colored Timed Petri Nets”, カラー時間ペトリネットに基づくスケジューリング問題の数理計画自動生成に関する研究
留学の関係で修了が半年ずれた阿波連さんの予備審査が無事に終わりました。お疲れ様でした!
修士論文を略して修論は、院生の最後のタスクだけあって卒論よりもチェックが厳しくて。専攻ごとに具体的なチェック体制は異なりますが、情報工学専攻の場合だと、、
・審査願い提出後、予備審査、最終審査を実施。
・主査1名、副査2名を前に1時間かけて審査(発表30分、討論20分、審査10分)。
・予備審査の時点で大幅な追加タスクが指示されることがある。
・(予備審査終了後打ち上げ)
・予備審査〜最終審査の間は約1〜2週間。
という感じ。
うちの予備審査だと、学会発表通して内容担保はともかく、修論書き上げてる時点でそれなりに細かく指導してるつもりなので、大幅修正に至る学生は今の所まだいません。栄えある一人目を授かる人が今後でないとは限らないし、それ以前に修了できていない(審査願い提出断念する)学生はいるので、全員が修了できてるという訳ではないですね。括弧内はNAL研伝統で予備審査日に打ち上げに行ってますが、似たようなことはどこでもやってるんじゃないのかな。4年次〜修士2年までの3年間を過ごした仲間という感覚が近いだろうし。
ちなみに予備審査というか「審査願い」自体は、〆切が学期末に指定されてるだけで、もっと早く出す&早めに審査することは可能です。実際それやって他メンバがひーひー言ってる間に余裕の顔してる学生もたまに(稀に?)います。
私自身の場合は、修論作成自体は余裕だったのだけど予備審査でめっさ緊張しまくりだったな(遠い目)。狭い部屋で圧迫感あったし、普段話したことなかった先生とも1時間対面することになるし。なので緊張すること自体は理解できます。が、修論ぐらいは(学会発表を何度もやってれば)楽勝。
社会人として身につけるべき最重要かつ最強のスキルは"寝る時間になったらすべての不安を忘れて寝ること”です。寝たことで状況が悪化したことなんて一度もありません。寝ることが正義。寝る前は何も考えない。Twitter封鎖。6時間死守。22時〜翌2時はできるだけ就寝状態。毎朝同じ時間に起きる。
— トマル (@maru_maru_ir) August 5, 2018
これマジでそう。いろんなタイミングで思い出して考えてしまうこと自体が悪いわけじゃないし、それが良い方向に向かうこともある(バグ要因見つからないけど机離れてるタイミングでロジックの問題に気づくとかあるある)のだけど、それが続きっぱなしの状態は心身ともに負担が大きすぎる。適度に休める能力というのは本当に大切。
そしてそれと同じぐらい「適度に体動かすこと」も大切。ここ2〜3年ぐらいは大丈夫っぽい気もしますが、「その前の学生がオープンキャンパスに来てた頃」とか、「今の院生」とか、一緒に階段歩いてると息切れする学生がちらほら目について、生きる力自体不足してるんじゃないかと心配になります。人生楽しむためにも最低限の身体機能は保持したほうが良いよ。
私担当の授業はもう終わってて、後は採点とかの成績関連だけで。大学としては台風等での予備日な日に入ってて、学生側も半分ぐらいはもう夏休みに入り始めてるのかな。駐車場の様子からは大分空いてますね。
プログラミング1の採点はほぼ終わりつつありますが、まだ出してない人いるのだよな。ま、途中成績ということで現状を明日にでも告知するか。
うちでは学生主体で各種サーバの運営保守をやってるということで、情報工学科改め、知能情報コースのサイトが学生の手により刷新されたようです。あちこち身内から突っ込まれてますが、そこ含めていいことだよね。単に作り変えるだけではなく、(人間デバッガ兼ねて)意見を募ろうということでご意見箱設置し、実際にそこに書かれた意見を参照しながら更新し続けられているようです。昨晩というか昼過ぎぐらいから始まって、その時点で見られた問題点もいくつかは既にfix済みという。すごい。
うちのサイトを紐解いてみると、こんな歴史を辿ってて。
ここに残ってるログ的には1998年2月(私が4年次)ですが、実際にはその1年前には既にあった気がします。懐かしすぎる。私自身は学科サーバとかには全く関わっていなくて、4年次で配属された複雑研の研究室サーバ管理に触り始めたのが最初の機会だったんだよな。
2000年にはそこそこ学科ページとしてコンテンツが充実し始めてて、最低限の情報は既にあったのかな。学科サイトが最初にあって、そこから「琉大非公式ページ(制作:情報工学科)」という時代でした。前述の1998年版は、谷口先生から好きなように作れ〜みたいに言われて興味ある学生が作成してたはず(うろ覚え)。
2001年には外部向けと内輪向けとで情報を分け始めたらしい。
2002年には割と大きくデザイン刷新されてますね。教員はここまでテコ入れしないので、そういうのに熱心な学生がいたのでしょう(ぉ)。
2005年頃にも一度デザイン刷新があったらしい。この頃に私は教員として入ってきて、最初の1,2年ぐらいはサーバ版に関わってたはず。
2009年頃から、今のWordpressに変わって、後は細かいデザイン更新に終止してたのが2018年7月25日までだったと。